浅井了意『狗張子』巻之七「鼠の妖怪附物その天を畏るること」より

天敵

 応仁年間、京都の四条あたりに、徳田某という豪商がいた。大いに富み栄えて、蔵には財貨が満ち満ちていた。
 しかし時代は、山名・細川の両家が野心を抱いて権力を争う戦乱のただなかで、京都の人々は、町が戦闘の叫喚に包まれるたびに恐れて逃げ惑い、あたかも薄氷を踏んで深遠に臨む思いで暮らしていた。
 そんな有様だから、徳田も京都に住まいするのが厭になり、北山賀茂のあたりの親類に秘かに頼んで、賀茂の片田舎に古御所があったのを買い求め、そこを山荘として、しばらく隠棲することにした。
 しかしながら、久しく人の住まない古屋敷だから、たいそう荒れ果てている。軒が傾き垣根が崩れたまま幾年を経た屋敷とも知れない。それでも徳田は、取りあえずざっと掃除して引き移った。
 京都の親族はそれを伝え聞いて、さっそく屋敷へ足を運んで引っ越しの祝いを述べた。
 主人の徳田は喜んで、訪問客を座敷に上げて饗応した。終日酒宴を催し、歌って踊ってしたたか飲酒した。夜ともなると、主人も客も大いに酒が回り、もはや前後も知らず酔いつぶれた。

 その夜更け、外に大勢の人の来る音がして、あわただしく表の戸を叩いた。
 徳田が出て不審に思いながら門を開くと、衣冠をつけて正装した立派な鬚の人物が、先立って入ってきた。
「我は、この屋敷のもとの主人である。我に一人の子があって、今宵、新婦を迎えるのだが、婚礼の儀式を執り行うにも、今住むところは狭くて汚い。今夜だけ、この屋敷を貸してほしい。夜が明けたら、早々に立ち去るゆえに」
 そう言い終わらぬうちにも、はや大勢が門内に入り込んで騒ぎ立てた。
「輿(こし)をはやく」
「馬はこちらに」
 百あまりの大小の提灯が二列に並んで、先頭に飾り立てた輿、次に数々の乗り物が入った。その後ろには数え切れない人数のお供の侍女が、笑いさざめきながら続いた。また別に、齢六十有余の老人が大小の刀を帯びて馬に乗り、徒歩の侍六七十人が前後を守って入った。その合間に、豪華に塗り磨かれた長持・挟箱、屏風・衣桁・具桶の類が数限りなく運び込まれた。

 やがて、貴賎の男女がおよそ二三百人、座敷の上にも庭先にもひしめいて、盛んに酒宴を催し、山海の珍味に舌鼓を打った。踊る者あれば歌う者あり、興に入るままに、主人の徳田とその客たちも招き出した。
「こんなめでたい宴だから、遠慮はいらない。ここに来て我らとともに遊びたまえ」
 呼ばれて、徳田も客もその気になって座敷に出た。
 まず新婦と思しき女を見れば、齢はまだ十四五か、ほっそり華奢で色白く、たぐいなき美人であった。なみいる侍女たちは、いずれも花のごとき艶やかな顔かたちで控えていたが、なぜかそのとき、にわかに立ち騒ぎ始めた。
 それにはかまわず、徳田は新婦の手を取り戯れて、
「今宵は飲まさずにはおくまいぞ」
と大きな酒盃を無理強いに勧めた。新婦がとても堪えられないという様子であちらこちらと逃げ隠れるのを、捕らえようと騒がしく追い回した。
 すると突然、激しい風が吹き降ろして、灯火を残らず吹き消した。
 徳田も客たちもはっと驚き、しばらくしてまた火をともして見ると、婚礼の宴の者たちは一人もいなかった。
 夜が明けてからよくよく見れば、夜半に運びこまれたはずの多数の道具は一つもなく、そのかわりに、徳田が秘蔵していた茶の湯の道具をはじめ、碗・家具・雑器にいたるまで、ことごとくひっぱり出して投げ散らかし、食い裂き噛み破っていた。唯一、床の古い掛け物で、落款がかすれ消えて誰の手になるかも分からない、牡丹の花の下に猫が眠っている絵だけが、まったく損ぜずにあった。

 人々は、
「不吉だ。恐ろしいことだ」
と眉をひそめるばかりだったが、村井澄玄という博学の儒者は、不安がる徳田にこんな話をした。
「怖がるほどのことではない。これは老鼠のなす怪異で、鼠は猫を恐れるから、たとえ絵であっても猫にはあえて近づかなかったわけだ。こんな例は古書にも少なからず記されている。つまりは、何物にも相性が悪くて歯が立たない相手、いわゆる『天敵』があるということだ。似たような話を、二三挙げてみよう。
 古い記録によれば、昔ある里の一村で子供が、数十匹の大きな蛙が泥池のほとりの棘の群生の下に集まっているのを見た。蛙を捕らえようと近づいてみると、そこには一匹の大蛇がとぐろを巻いて、心のままに群蛙を貪り食っていたのだ。蛙どもは群がったままじっと固まって、ただ食われるのを待っていた。
 また別の記録によれば、ある村の老人が、百足が一匹の蛇を追いかけるのを見た。どちらも大変な速さだったが、だんだん百足が近づくと、蛇は動かなくなり、ぱっくり口を開けて百足が来るのを待った。百足はその口から腹の中に入り、そのまま出ず、やがて蛇は死んだ。老人はその蛇を深山に捨てたが、十日あまりして行ってみると、数知れぬ小さな百足が蛇の腐った肉を喰っていた。これは、百足が蛇の腹の中に卵を産んだのだ。
 また昔、ある人が、一匹の蜘蛛が百足を追ってはなはだ速く行くのを見た。百足は竹垣の竹の節の中に逃げ込んだ。蜘蛛は節に入らず、竹の上に跨って、ひとしきり腹を揺り動かした。蜘蛛が去っても、百足は出てこなかった。竹を割いて見れば、百足はすでに節々が爛れ千切れて、蟹醤(かにびしお)のようになっていた。蜘蛛は腹を揺すって小便を注ぎかけ、百足を殺したのにちがいなかった。
 天敵を恐れること万事こんな具合で、いま鼠が猫の絵を恐れるのも同じだ。そうまで天敵が怖い鼠に、この先やりたい放題の怪異をなすことなどできるものか」

 さらに澄玄は、鼠の穴を見つけて退治することを薦めた。
 屋敷から東へ行ったところに、石が多く重なって小高い場所があり、その下に大きな穴があった。中に年経た鼠が限りなく群れていたので、残らず捕らえて殺し、穴を埋めてしまった。
 その後は何事もなかったという。
あやしい古典文学 No.790