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『唐物語』「深山に遁れたる都の娘、犬と契る語」より |
雪々 |
昔、都に、美しく清らかな娘がいた。 両親は、世間の荒々しい風に当たらないよう深窓の内で大切に養育し、やがて娘が成長して結婚を考える年頃になると、相手探しに一生懸命になった。 しかし娘のほうは、縁談を聞いてもまったく喜ばず、むしろ露骨に嫌がった。その様子に、両親はひどく落胆し嘆くばかりだった。 「どうしても結婚しなければいけないというなら、わたしはいっそ家を出て、尼になります。世を捨てます」 などと本気で厭わしそうに言うのを聞いて、近しい縁者たちまでが、どうしたものかと深い溜息をついた。 周囲の心配をよそに、娘はきっぱりと心に決めていたので、ついには乳母の子である幼馴染の侍女一人を連れて、何処へともなく行方をくらました。 この侍女も美しい顔立ちをしていて、恵まれた結婚ができそうだったのに、そんな身の上を振り捨て、女主人と心を一つにして、鳥の声もしない深い山に入ったのだった。 二人がそれぞれ草の庵を結んで暮らしていると、両親が、みずからの子を思う親心だけを頼りに、山また山を踏み分けて訪ねてきた。わが子に逢うや血の涙を流してかき口説いたが、娘たちには親とともに帰ろうとする様子はまるでなく、むなしく引き返すしかなかった。 それでも、子を思って迷わぬ親などいないから、生活に入用のものを揃えて送ったりした。しかし、それをも煩わしいと思ったか、 「こんなことをするなら、今の住処を捨てて、ほかへ逃げてしまいますよ」 と言ってよこした。 それで、ただもう二人の好きなようにさせるしかないと諦めて、その後は便りもしなくなった。 こうして二人は、深い山の中で、誰に邪魔されることなく心を澄まして暮らしていたのだが、ある日、どこからともなく可愛らしいぶち犬がやって来て、侍女の庵の前で尾を振った。 ものを食わせ、撫でたりして興じるうちに、犬は侍女にすっかりなついた。 退屈にまかせ、犬を胸に抱きしめて可愛がり、さまざまに弄んで日を送るうちに、どうしたことか、侍女の心は抑えがたく乱れ、情欲にとりつかれて、ついに犬と男女の仲になってしまった。 そうなるべき前世の因縁が深かったのだろうか、あさましく情けないことだと身にしみて思いながらも、もはや犬のことが愛しくてたまらなかった。 そんななか、侍女は女主人の庵を訪ねた。 来し方行く末の話をあれこれ語り合ううち、夏の薄い着物を透かして、侍女の肩に犬の足跡がたくさんついているのを、女主人が見つけた。 「その足跡はどうしたの?」 尋ねられて、ありのままに言えることではないから、侍女はなんとか言い紛らわそうとしたが、強く責め問われて逃れがたく、 「わたしの庵を、時々なにげなくご覧になってください。そうすれば分かります」 と答えた。 女主人は『どういうことだろう』と怪しんで、その後は常に庵の様子をうかがった。すると、侍女はいつも犬と一緒に寝ているのだった。 足跡のわけを知って、女主人は堪えがたい気持ちになった。にわかに胸の内が心細さと寂しさでいっぱいになって、もはやいたたまれず、すぐに自分の庵に犬を呼び入れると、夢中で情を交わした。 そうして、彼女もまた、犬を切なく思慕するようになった。 「ああ、あさましい。どうして獣に身も心も許してしまうのでしょうか」 「そうねえ。でも、これがわたしたちの運命だったのよ」 二人の女は、そう言い交わしながら、山奥で犬と戯れて暮らした。 人の身で犬と契るなど、めったにある例ではないが、物事の道理をわきまえた人は、これを不快でいやらしいことと思ってはならない。 二人は、このような道に入るまいと、どれほど努めたことか。しかし、深い因縁の前には、賢い者も愚かな者も、ひとしく逃れることができないのであろう。 この犬の名は「雪々」といった。 |
あやしい古典文学 No.794 |
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