人見蕉雨『蠅糞録』坤「辻切り田熊」より

辻斬り田熊

 昔の人の語ったことだが、江戸に田熊という辻斬りの名人がいた。
 田熊は友人の図部某に、
「今宵は何人なりと数多く斬って遊ぼうと思う。一緒に来て見物するがよい」
と言って、そぼふる雨の中を鼻歌交じりで、連れ立って出かけた。

 宵を越して人通りが途絶えたころ、小提灯を道に照らして来る者がある。
「あいつをやろう」
と刀を抜き、横目で様子を窺いながら近寄って、行き違いざま、ザッという音がした。
 小提灯の男が斬られたと思って、図部が駆け寄って見ると、その男は無事で、斬られたのは田熊だった。
 相手も辻斬りの名人だったらしい。
 その男が図部を油断なく睨んで行き去ったのは、きっと図部も辻斬りと見たからだろう。
あやしい古典文学 No.795