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愚軒『義残後覚』巻之六「和州に於いて奇代変化の事」より |
大和の生き神 |
かつて大和の国に「伊勢福どの」という生き神が現れて、世を挙げて参詣したことがあった。 そもそも伊勢福は、太郎左衛門という百姓の娘だったが、十七のときに近くの林を流れる小川で洗濯をしていて、にわかに家へ立ち帰り、 「われは神なるぞ。早く家の内を清め、精進潔斎せよ。われは仏の三つの叡智と六つの通力を得て、芥ひとつ残さず全世界を見通す者だ。何事であれ、尋ねたいことがあれば参るがよい。特に病に冒されて憂えるものは来い。たちまち平癒させるであろう」 と口走ったのである。 両親はじめ周囲の人々は大いに驚き、 「これはきっと、神様が乗り移ったのだ」 ということになって、住居の横に別家を造って住まわせ、祀った。 やがて、伊勢福のことは大評判となった。 諸国の大名小名をはじめ、京・大坂・堺そのほか各地の人々が、貴賤を問わず押しかけてひしめくさまは、並大抵の騒ぎではなかった。 そんななか、まずは伊勢福の前に十人から二十人ほどの盲人がかしこまった。 「我らは噂を聞いて、それぞれの国からはるばる参ったものです。どうか我らの両眼を見えるようにしてください」 伊勢福は盲人を近くに呼び寄せ、眼の内を見た。 「たやすいことだ。治してやろう」 ただちに小刀をふるって眼をさんざんに切りえぐり、肉血を出したのち、御符を揉んで押し込んだ。その後、扇を広げて、 「これは何だ」 盲人たちはいっせいに、 「扇でございます」 と答える。 「何が描いてあるか」 と問うと、 「人の姿が……」「花鳥が……」「山や林が……」 そこで伊勢福は、 「よし、治った。早く帰れ」 元盲人たちは口々に礼を言って、来るとき突いてきた杖などをその場に捨てて帰った。やがて杖は、積み上げられて山のようになった。 ほかにも、腰が悪くて立てない者、耳の聞こえない者、背骨の曲がった者、疝気や中風などの病人が来たが、その患部を切り開いて御符を押し込むと、皆たちどころに癒えた。世の人が聞き伝えて『神技だ、奇蹟だ』と有難がったのも、無理のない話である。 そのころ、備前中納言 宇喜田秀家どのの北の方は、懐妊して悪阻(つわり)に悩み、床に臥せっていた。 伊勢福の噂を聞いた奥女中が、備前から馬や駕籠を乗り継いでやって来て、深刻な面持ちで、 「少々お尋ねしたいことがあって、ここまで参りました。じつは……」 と言いかけると、伊勢福は制して、 「おっしゃるまでもない。お心の内を言い当てて聞かせよう。あなたの主君は大名で、備前中納言どのと申される。北の方の悪阻は心配ない。この十一月には、若君がお生まれになる。すべて無事にて、めでたし。お尋ねの向きは、このことであろう」 これには、奥女中もお供の侍たちも舌を巻いた。しばらくものが言えず、ぞっと身の毛がよだっているように見えたそうだ。 その後、北の方は無事にお産して、『まことにありがたい』と、備前から金幣一対、縫箔(ぬいはく)の小袖一かさねをお礼に贈ってきた。 また、あるとき、赤井善之丞という人が来た。 「験あらたかと聞いて、ここまで参りました。どうか、武運長久にして奉公無事に勤まりますよう、御符をお与えください」 伊勢福が、 「それはたやすいことだけれども、あなたは鹿が近い人だから、今年は難しい。来年また来るがよい」 と答えると、はっとした様子で、恐縮して帰っていった。前の年の冬に鹿肉を食ったことを言い当てられたのである。 このように日々繁盛したので、新たに立派な社殿を造営し、その傍らに病人などの籠り所もこしらえた。 いろいろな方面から縫箔の衣類が寄贈されると、そのまま小刀で小さく切り分けて、 「御守にして子供に掛けさせよ。一生の間、痘瘡を免れるであろう」 と、諸人に下し与えた。 あるとき伊勢神宮に参詣したが、途中、御符を請い求めて集まる人の数おびただしく、まさに海道に市をなすありさまだった。 月日は過ぎて三年あまり、父親の太郎左衛門がふと思うことには、 「あの伊勢福は、毎夜暁時分になると森へ行って、百桶の水を浴びて身を清める。『ついて来てはならぬ。見てはならない』ときつく言うので、今までは見なかった。しかし、どうしてそうまで厳しく制するのか、不思議だ。どうも気になるから、今夜は跡を付けてみよう」 太郎左衛門が待ち構えていると、伊勢福はいつものように暁に出かけていく。後から見え隠れについて行くと、やがて森の中へ入った。 迂回して近くに忍び寄り、委しく見たところ、百匹二百匹の狐がひと所に集まって、何を話すのか互いにうなづき合っていた。そこに伊勢福の姿はなかった。太郎左衛門は大いに驚き、 「さては娘に狐が憑いて為す術であったか。うかつにも、今までまったく気づかなかった」 と思いつつ、家へ帰った。 長刀(なぎなた)を手にして引き返し、戻ってくるところを討ち捨てようと、いつも通う道で待っていると、森から帰ってきたのは頭の禿げた古狐だった。 その狐をただ一太刀に斬り殺し、 「妖狐をしとめたぞ」 と近寄ってみると、狐ではなく、娘の伊勢福を殺害していた。 「これは、どうしたことだ」 どんなに悔いても、もはや取り返しがつかなかった。 伊勢福が死ぬと、その奇蹟も、雪の消えるように跡形なく失せた。 病人などが治癒したと見えたのは、みな狐の化けたものであった。もちろん本物の病人も来たのだが、それらに対しては、 「過去よりの因果でそうなったものだから、わが手に余る」 などと言って、何もせず追い返していたのである。 昔の「玉藻の前」このかた、これほどの狐の妖は聞いたことがないと、人々は驚きあった。 ただし、すべてが実のないあやかしだったわけではない。伊勢福が与えた御守をかけた子供で、痘瘡に罹った者は一人もなかった。御守を持たない人が、あちこちで御守を借りて子供の身を拭っただけで、たとえ痘瘡をしても軽くて済んだ。 末法の世とはいえ、こういう不思議もあるのだと、世間で広く風聞したという。 |
あやしい古典文学 No.798 |
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