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中川延良『楽郊紀聞』巻九より |
幽霊釣り |
肥前田代領には、「幽霊釣り」という術を用いる者がいる。 その術は古くよりあって、今日まで代々受け継がれてきたものである。 土地の人で、旅先の大坂で病死した人があった。 やむなく現地で火葬にし、骨ばかりを持ち帰って埋葬したが、妻子も兄弟もたいそう悲しがり、幽霊釣りをする惣八とかいう者に頼んだ。 惣八が、 「幽霊釣りは家ではできない。野原でやるものだ」 と言うので、妻子たちは、 「筑後との国境に、松など生えた野原があるが、あそこでどうか」 と提案して、そこに決まった。 夜になってみな一緒に行き、まず灯籠一つを松の枝にかけ、火をともした。そのまま夜半まで、寄り集まって話などしながら待った。 やがて、ざあっという音とともに一陣の大きな風が吹き来り、たちまち一面霧に覆われた。間近の樹木も霧に隠されたなか、灯籠の火だけはかすかに見えた。 少しして霧が薄らぎ、惣八の声がした。 「亡者が来られたらしい。火を目あてに近く寄られよ」 皆が歩み寄ると、灯籠の上のほうに、男が一人立っているのが見えた。その面ざしはもとより、衣服帯のさまも、大坂で死んだ人のそれに少しも違わない。持っている菅笠に生国の名や姓名など書き付けてあるのも、銀作りの大小を帯びているのも、旅立ちのときの姿に異ならない。 惣八が、 「遠国での死去ゆえに死に目に会えなかった方々が、今一度対面したいと望まれるので、来てもらった。死去のときの様子などを語られよ」 と促すと、男は、大坂で病に倒れたときのことから火葬の様子まで、逐一物語った。それは、先に大坂から知らせてきたことに少しも違わなかった。 今度は男が、 「我に尋ねたいことがあるなら、訊くがよい」 と言ったが、妻子も兄弟もただ泣くばかりで、何事か言い出す者はなかった。 「尋ねることがないなら、もう帰るぞ」 そのとき妻が立ち上がり、 「もうしばらく居てください」 手をのばして男の袖をしっかり掴んだけれども、そのまま姿が失せて、妻がとらえていたのは松の小枝だった。 「幽霊釣り」をするときは、いつも塩を入れない小豆の煮干を懐に入れて行くのだという。また、灯籠には油を入れ、夏の日に道で一文字になって死んだミミズのよく乾かしたのを灯心の代わりにして火をつけると、うまく火がともるそうだ。 このほかにも、さぞかし細かい技法があるのだろう。小豆を持っていくあたり、狐を使う術だと見受けられる。 また、西村栗右衛門は、この術について次のように話した。 「ミミズに火をともすのは、切支丹の術ではあるまいか。昔、そう聞いたことがある。かつて田代にいた豪潮という出家は、当時名高い僧で、徳も備わっていたが、晩年になってミミズの術を知り、いろいろの妖しいことをした。法衣の袖の内から幽霊を出して人に見せたりしたので、大いに名声を落とした。惜しむ人もあったと聞くよ」 |
あやしい古典文学 No.802 |
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