人見蕉雨『黒甜瑣語』四編巻之三「雄猿部の尸」より

農民作之丞の屍

 むかし秋田雄猿部(おさるべ)のそのまた奥山の、幾星霜を経たとも知れぬ楠の大木の梢に、「農民作之丞の屍」といって、逆さまに掛けられた死骸があった。
 死骸がどれくらい前からそこにあるのか、確かなことは誰も知らなかった。いつごろか天狗に攫われた者だと言われていた。
 楠は高山の絶壁上にあり、死骸は目のくらむような谷に垂れ下がっていて、山を棲家とする木こりたちといえども麓にさえたどり着けない。ただはるか遠くから眺めるばかりで、
「どうも人ではない気がする」
「形は人に見えるけれども、ほんとはどうなんだろう。十年二十年のことではないぞ。年月を経てもいっこうに腐って落ちないのは、人ではない証拠だ」
などと言い合って、だんだんと怪しむ者もなくなった。やがては、ただ旅人の話の種として語られるだけになった。

 作之丞は、秋田比内の農民であった。何十年も前に行方不明になり、その家に今は子孫が暮らしていた。
 ところがあるとき、
「わしは、昔ここに住んでいた作之丞だ」
と言って、わが家に帰ってきた。
 その話すところによれば、
「わしが四十近い歳のころ、山奥で薪を伐っていると、一人の大男が現れた。『おまえは、もし見ることができるとしたら、過去と未来のどちらを見たいか』と訊くので、『過ぎた時のことは物語にも聞ける。行く末のことは命がなければ見られないと思うと、いちだんと心がひかれます』と答えた。すると大男は、『では、今おまえの命を縮めて、八十年後に再生させ、そこから三十年の寿命を与えよう。そうすれば百年後を思う存分見ることができるぞ』と言うではないか。その顔の恐ろしさときたら、とても言葉にならない。わしは肝を潰して一生懸命に詫び言したが、『前世の業を償うときが来たと思え』と叱して、即座にわしを縊り殺した。
 その後のことは知らないが、先日、長い眠りから覚めたかのように眼を開くと、かの大男が傍らに居て、わしを仰向けに寝かせて全身を揉みほぐし、『梢の上の苦しみ、さぞ辛かったであろう。これで許して帰してやる』と、方角を指し示してくれた。歩み行くと雄猿部の山頂に至った。そこからは知った道で、山の木立や里の家居も幾分変わったとはいえ、やがてたどり着いたのは、かつて住んでいた里に間違いなかった」
 どうも信じがたい話で、家人は大いに訝ったが、作之丞という人が天狗に攫われた話は言い伝えられていたし、近隣の村々の昔の出来事を語らせると皆たしかな事実であったので、やはり本当かとも思われた。
 そこで、かの深山の楠の梢を見に行くと、掛かっていた死骸がなくなっていた。これで本物の先祖と定まり、作之丞はわが家で皆に敬われて暮らした。田舎人の律儀さがよくわかる話である。

 その後、作之丞は三十年を生きながらえ、正徳末年に病の床で死んだ。
 まことに不思議な出来事ではないか。
あやしい古典文学 No.806