人見蕉雨『黒甜瑣語』二編巻之一「空木の人」より

空木の人

 大光院尊閑の書『うもれ水』に、次のような記事がある。

 元禄年間、飛騨の山奥で、風に吹き折られた大木の幹の空洞に、一人の老人が眠っているのが見つかった。
 齢八十あまり、身の丈に等しい白髪を垂らし、顎鬚も膝まで伸びている。熟睡して、揺り醒まそうとしてもまったく目覚めなかった。
 里まで抱え下ろして、皆々うち群れて不思議がるうち、一人が言った。
「こういう人は、太鼓で驚かすと起きると聞いた」
 それではと、耳もとで大いに太鼓を打ち鳴らすと、やっと目を開いた。そこで、何処の人かと尋ねたところ、
「わしは、この里の誰それだ。某年某月に山中に入ったが、雨に降られてやむをえず、木の空洞で雨宿りしたのだが……」
 その年月からは、じつに三百余年が経っていた。気の遠くなるほどの時を、何も気づかず眠り続けたらしい。
 目覚めた老人は、元禄の後まで、里で生きていたということだ。
 中国にも同様の話がある。
 『仏祖統記』によれば、宋の徽宗のとき、七百年前に峩此山に登って、以来ずっと木の空洞で眠っていた僧が、目を覚まして出てきたそうだ。
あやしい古典文学 No.811