上野忠親『雪窓夜話抄』巻之一「安威久太夫山中に鬼女を捕ふる事」より

山中の鬼女

 かつて、安威久太夫という武士がいた。
 野山で猟をするのが好きで、あるとき因幡ノ国多気郡鹿野辺りへ出かけ、犬を連れて深山に入った。

 月の暗い夜がいつしか更けたころ、久太夫がふと見ると、木立の生い茂った崖の岩陰から、何ものかが駆け出したようだ。そいつは久太夫の犬を脅して追いかけ、深い谷の方へ追い落とすと、そのまま傍らの岩穴へ駆け込んだ。
「今のはなんだろう?」
 久太夫は犬を呼び戻し、岩穴へ入るよう促したが、恐れて竦んでいるばかりだ。仕方がないので、供の若党に命じて、穴の中を探らせた。
 やがて若党は、人の女とも猿ともつかないものを引きずり出してきた。長く尖った爪で掻きむしってさんざん抵抗され、若党の手足はひどいことになっていた。
「捕まえはしたものの、この暗さでは正体がよく分かりません。暴れる力が尋常でないのはたしかです」
 若党の言うのを聞いて、葛(かずら)で縛り上げ、村里まで連れて行くことにした。

 里に着いて、あらためて火をともして見た。
 髪が長く伸びて膝にかかっている。よくよく見れば女だった。顔かたちはあくまで荒々しく、まるで夜叉のようだ。何を問い尋ねてもものを言うことはなく、ただニタニタと笑っている。食物を与えたが食わず、水を呑むだけだった。
 辺りの里人に尋ねても、知る者はなかった。集まった人々は、女を不思議そうに眺めるばかりだったが、そのうちの齢七十有余の老人が、こんなことを言った。
「その昔、近くの村で、産後まもない女がにわかに狂気して、鷲峰山へ駈け入ったと言い伝えている。その後数日、皆で捜索したけれども、とうとう見つからなかったそうだ。ざっと計算して百余年も前のことだが、おおかたその女ではないか」

 結局、久太夫は里人に命じて、女を再び山へ追い入れさせた。縛めを解かれて逃げ走る速さは、驚くべきものだったという。
 以来、この女の姿を見た人はいない。
あやしい古典文学 No.815