人見蕉雨『黒甜瑣語』ニ編巻之三「宝河の与治か娘」より

仙女

 延宝年間のこと。宝河(たからが)の与治という者に、顔といい姿といいたいそう美しい娘があったが、十六の春にふと行方知れずになった。
 父母は嘆いて、まもなく相次いで世を去った。

 それから五十年を経て、正徳のころ、与治の娘は、かつての姿そのままで何処からともなく現れた。大昔のことではないから、村の中に見覚えている者もあって、それと知れたのである。
 以来、村で祝い事のある日には、必ず来て水仕事などを手伝った。めかしこんだところの少しもない村娘の装いで来るのだが、首筋がすっきりと通って瞳は輝き、えくぼが可愛らしく、自然と人目をひいた。
 機転がきいて仕事をてきぱきこなす一方で、人と語ることを嫌い、自分が何処に住んでいるかも明かさなかった。笑い興ずることを好まないので、男どもが冗談めかして言い寄るようなことがあると、その家へは祝い事があっても二度と来なかった。そんなことのない家へは何度となく来た。
 元のわが家へは立ち入らないし、帰っていく所を誰も知らなかったけれども、見たところ普通の人だったから、村の者は怪しまず、「与治の娘が来た」といってあれこれ用事を頼み、本人もよく引き受けて、断ることはなかった。

 十年ばかりそうしていたが、しだいに世間の評判になり、わざわざ他所の人が見に来たりするのを煩わしく思ったか、その後は姿を見せなくなった。
 この娘のような人を、仙女というべきなのかもしれない。
あやしい古典文学 No.816