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人見蕉雨『黒甜瑣語』初編巻之三「天狗の情郎」より |
出羽の天狗 |
世に「天狗の情郎(かげま)」といって、あちこちで人が誘拐されることがある。妙義山に連れて行かれて天狗の下僕にされたとか、讃岐の杉本坊の客となったとかいう。 わが秋田藩にも、同様なことがある。元禄のころに仙北郡稲沢村の盲人が語ったという不思議物語にも多く見られ、下賎の者がさらわれる場合が特に多い。 最近では、石井某の下男が四五度も誘拐された。 はじめは自分から出奔したと思われたが、それにしては持ち物すべて置いたままなのは変だと言い合っていると、ひと月ばかりして帰ってきた。津軽を残らず見て回ったとかで、山や川、村や町の様子に詳しいことは驚くばかりだった。 その後一年ほど過ぎて、この男の部屋が何事か騒がしく、 「お許しを」 と叫ぶ声が聞こえた。人々が駆けつけたが、もはや影もなかった。このときも半月ほどで越後から帰ってきた。山の上から越後城下の火災を見たという。しかし、詳しくそのことを聞きだそうとすると、言葉を濁して言わない。委細を話したらただではおかないと戒められたとのことだった。 四五年を経て、男はある人に従って江戸へ向かった。また道中で行方をくらまし、今度は半年ほどたって大坂から戻ったそうだ。 ある友人の話では、片岡某という仙北郡の代官の下男が、夕方、酒を買いに行く道で、大山伏に会って、 「わしについて来い」 と言われたという。 「主人の酒を買いに行く途中なので、用事が済んでからにしましょう」 下男は、とっさに応えたが、山伏は聞き入れず、 「酒のことは心配するな。わしにまかせろ」 と、無理やり連れ去った。 実際、酒瓶は山伏が引き取って、どのようにしたのか、酒を満たして片山某の屋敷の縁先に届けられていた。 山伏はそれから、下男を刈和野村へ連れ行き、 「今、ここは大火になるから、見物して遊ぼう」 と言って、樹上に座して四方山の話をするうち、村外れより出火して一軒残らず焼け失せた。 暁ごろ、下男を片山某の屋敷に送り届け、山伏は何処へともなく失せた。 夜が明けて、主人が下男を呼び、 「昨夜から、何処へ行っていたのか」 と尋ねたところ、下男はすべてのいきさつを物語った。 「刈和野村なら、わが治める所だ。それほどの火災なら、必ずや訴えもあるはずだが……」 主人が訝っているときに、飛脚が来て、昨夜の火災の状況を告げた。 このようなことは、ほかにもいろいろある。天狗については多くの学者が論じて、さまざまな説を唱えているけれども、その存在が確かなのは間違いない。 むかし宝暦七年の春、医師 稲見氏が広小路の上土橋のあたりを通ったとき、虚空を見上げている大勢の人に出遭った。 「何事か」 と問うと、 「あれを御覧なさい。空中を人が行きます」 稲見氏が仰ぎ見ると、なるほど、齢のほどはさだかでないが、羽織を着て大小を差し、形付の袴に白い足袋の男が、ひらりひらりと風に舞いつつ、風を操るかのごとく空を横切って、しばらく後には見えなくなった。 また、これは私自身の経験だが、安永六年の秋のある日、宵を過ぎるころに、空中で大勢の声がした。 「討て、討て」 とさかんに喚いていた。長野の方角から声がすると思ったが、長野では山の手から聞こえたというし、楢山辺りでは根小屋中城の方から聞こえたそうだ。 そのとき山の手から手形へ向かっていた知人某によると、如意山の坂あたりで大勢が喧嘩しているような騒ぎ声がして、近づいていくと、その声は次第に高くから聞こえ、虚空から、 「鎌おこせ、鎌おこせ」 と叫ぶのを確かに聞いたという。これもまた天狗の仕業であろうと語り合ったものだった。 |
あやしい古典文学 No.820 |
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