人見蕉雨『黒甜瑣語』四編巻之二「落あしの武者」より

落武者の食欲

 大坂夏の陣のときには、近国の農民・商人など皆、軍兵の乱暴を恐れて固く門を閉ざし、あるいは遠く逃げ失せて、影も見せなかった。
 京都でも物資の流通が止まり、天皇をはじめ公卿殿上人さえも食糧尽きて飢えに直面する状態が三月あまり続いたとき、かの川端道喜がちまきを献上し、以来千年の御用達となったとか。

 九条の旅宿の主人が物語ったところによれば、大坂落城が近くなると、城を抜け出し遠く落ちてゆく武者が毎夜、京都の町を続々と通り過ぎたそうだ。
 ある暁、さすがに人も絶えた頃、これも落武者とおぼしき者が、駅馬を雇って道を急ぐ様子であった。
 武者が、
「おまえは朝飯を食ったか」
と訊き、馬夫が、
「食うには食いましたが、ろくろく食い終わらぬうちに急き立てられたので、湯も飲まずに出てきましたよ」
と応えたとき、ザクッと音がして、「ウッ……」と倒れる声があった。
 さては斬られたかと、戸の隙間から覗いてみたら、武者は馬夫を胴切りにして腹中を掻き回し、さっき食ったという飯を掬い取って、血の滴るのを貪っていた。
 あまりのことに旅宿の主人は、身の毛がよだつのをおぼえるのみだったという。

 以上の話は、当時都にあって実際に見聞した細井熙斎子が語ったと伝えられる。
あやしい古典文学 No.823