人見蕉雨『黒甜瑣語』四編巻之二「人肉の調菜」より

肉食の城

 むかし飛騨ノ国の大山城で、人肉を調理して多種の酒肴を用意し、戦中の酒宴を催したことがあった。
 わが出羽仙北郡の馬鞍城では、籠城久しくして兵糧尽きたとき、城将 延沢満延が次のように命じた。
「奥羽の山中に生きる者なら、五穀の食物だけ口にしているわけがない。ふだんから猪や鹿を喰らっているはずだ。今こそためらわず、牛馬人肉を屠ろうではないか」
 そこで死屍累々の山から腐乱の肉を取り集め、城中の男も女も、老人から幼児にいたるまで皆が食って、十日あまりを耐えたと、当時の史書に記されている。

 辺境の武将や兵士がひとたび戦陣に入れば、飢えては人を屠り、渇しては血をするる。それは戦場のならわしで、当たり前のことなのだった。
あやしい古典文学 No.824