『一休関東咄』下「弟子をとりて、めいくをのたまふ事」より

睾丸になれ

 一休の檀家に愚かな人がいて、おりおり来ては法談に耳を傾けていた。
 あるとき、『一子が出家すれば、その九つの親族が天に生まれかわる』という話を聞いて深く信じ、ただ一人の息子を連れて来て頼んだ。
「どうかお弟子にしてください。」
 一休は気軽に引き受けて、その子の頭を剃り上げると、つるつるになったのを手でさらりさらりと撫でながら、
「睾丸(きん)になれ、睾丸になれ、牛の睾丸になれ。」
と唱えた。
 聞いた親は立腹して、
「ひどいことをおっしゃるものだ。『御仏になれ』とまでは言わなくても、せめて『菩薩になれ』くらいは言ってくれてよさそうなもの。牛の睾丸になって、何の益があるものか。」
と、一休を睨みつけた。
 すると一休は笑って言った。
「いやいや、この末法の世の出家は、仏道修行を続けることが難しく、ともすれば堕落してしまう。ところが牛の睾丸は、ぶらりぶらりと垂れ下がって今にも落ちそうでいながら、決して落ちない。それゆえ、牛の睾丸のようになれと言ったのだ。」
 檀家の人は、どう納得したかは知らないが、
「いわれを承れば、面白いお言葉で……」
と感心したのだった。
あやしい古典文学 No.827