『訓蒙故事要言』巻之十より

かさぶた喰い

 『天中記』によれば、劉宋の初代皇帝劉裕の参謀 劉穆之(りゅうぼくし)子孫で劉(りゅうよう)という者は、かさぶたが大好物であった。
「河豚に似た味がして、すごく旨いんだ。」
と言っていつも食べていたが、あるとき孟霊休という人のところへ行くと、霊休は全身に灸瘡を発して、そのかさぶたが床の上にたくさん落ちていた。
 劉がしきりにかさぶたを拾って食べるのを見て、霊休は驚いた。しかし、
「ぼくはこれが好きなんだよ。」
と言うので、まだ落ちていないかさぶたもことごとくむしって、劉に食べさせてやった。

 後に霊休は、何最という人に送った手紙に、『やがて彼は、みずから私の身体を眺め回して、かさぶたを見つけてはむしって食べた。しまいには身体じゅうから血が流れた。』と書いた。
あやしい古典文学 No.833