進藤寿伯『近世風聞・耳の垢』より

竹馬女

 宝暦十年二月二十五日の夜半、狸小路の梅園文伯の次男文治が自宅近くを歩いていると、桂木小右衛門の屋敷の角に、一人たたずむ女の影があった。
「この真夜中に、怪しいやつ。何者か。」
と咎めると、女は竹馬に乗ってつかつかと近寄り、背後から抱きついてきた。顔を見れば、口が耳元まで大きく裂けている。
 文治はとっさに腰刀を抜いたが、同じような竹馬女がもう一人来て、二人がかりで身体を嘗め回したので、あまりのことにたちまち失神した。
 物音で兄の文英が出てみると、文治が倒れている。すぐに屋敷に引き入れて介抱したけれども、二三日は意識朦朧の状態だったそうだ。

 これは狸の仕業だろうとのことだ。
 桂木屋敷は研屋町御門内、梅園屋敷は狸小路西側下角にある。「狸小路」は、だいぶ前からそう呼ばれているが、本来は「駄抜小路」で、その昔、小荷駄をこの小路へ通したので、その名があったという。
あやしい古典文学 No.836