『訓蒙故事要言』巻之八「自瘤出■」より

大いなる猿

 『太平広記』によれば、むかし中国の安康の地に俊朝(ちょうしゅんちょう)という人がいて、その妻の首筋に瘤(こぶ)ができたのだそうだ。

 瘤は最初、鶏の卵ほどの大きさだったが、どんどん膨れ上がって四五升入りの壺のようになった。五年ほどたったときには、数石(すうこく)入りの大壺みたいだったから、妻は重くて歩くことさえできなかった。
 瘤の中からは、時として琴や笙などの楽の音が流れ出て、思わず聞きほれるほどだった。またある時は、瘤から生じた白雲が糸筋のようにのびて空へと上り、群雲となって雨を降らした。
 家内の者が気持ち悪がって、しきりに、
「あの人を、遠くの山へなりと棄ててしまおう。」
と言うので、俊朝はやむをえず、そのことを妻に告げた。
 妻が応えて言うには、
「みんながこの瘤を怖がるのはもっともです。しかたありません。山へ棄てられたら、きっと虎や狼に食い殺されてしまうのでしょうね。それなら、今この瘤を切って死んでも同じこと。お願いです。あなたの手で瘤を切り割って、中に何がいるのか確かめてください。」
 俊朝は、妻の望むようにしようと思った。刃を持って妻の前に進み出ると、瘤は突然やかましく鳴り轟いた。
 何事かと見るうち、瘤は四方に張り裂け、大いなる猿が中から躍り出て、慌てふためいて逃げ去った。
 とりあえず瘤の痕は包帯しておいたが、妻は目がくらみ、気分が悪くなって病み伏した。

 明くる日、黄色い冠をかぶった男が来て、俊朝の家の門を叩いた。
「わたしは、昨日、瘤の中から出た大猿であります。わたしは猿の精でして、自在に雨を降らし風を吹かす力を得ております。かつて、漢江の鬼愁潭に棲む年へた蛟竜(こうりゅう)と組んで、水上を往来する船を転覆させ、積荷の食糧を奪って一族を養っておりましたところ、ついに天帝の怒りにふれて、蛟竜のやつは殺され、仲間は残らずお尋ね者となりました。わたしは天地に身の置き所なく、俊朝どのの奥方の首筋を借りて、やっと危ない命を助かったのであります。その恩にいささかでも報いたいと、鳳凰山の神のところから少しばかりの膏薬を持ってまいりました。奥方の傷痕にこれを塗れば、たちどころに治るでありましょう。」
 言われたとおり膏薬を塗ると、ひと塗りごとに傷が癒えて完治した。
 俊朝は喜びのあまり、鶏を料理し酒宴を設けて、黄冠の男を歓待したうえで送り出した。
 男のその後の行方は、誰も知らない。
あやしい古典文学 No.837