井原西鶴『西鶴諸国ばなし』巻四「形は昼のまね」より

夜の浄瑠璃人形

 浄瑠璃の太夫に、井上播磨という人がいる。播磨節といわれる節回しを工夫してさまざまの浄瑠璃を語り、人々が口真似をして大いに流行った。
 ある年の正月芝居には、一ノ谷の合戦を五段の浄瑠璃に仕立てた。細工人が心を尽くして作った人形ひとつひとつを、役者がおのおの精魂を込めて遣い、源氏と平家が東西に分かれての大合戦の場を演じたので、大評判となって、大坂じゅうの人が詰めかけたかのような盛況が久しく続いた。

 そんな二月の末、春雨が連日降ったため、芝居小屋はすべて休演した。
 所在なく物寂しい夜半、千日寺の鐘の音と蛙の鳴く声のほか聞こえるものはなく、楽屋番の小兵衛と左右衛門は、木枕を並べて横になり、燈火を小さくして話すうち、いつしか深く寝入った。
 騒がしい足音にふと眠りから醒め、二人とも夜着の下から頭をもたげて見ると、そこらに放置されていた人形どもが、ものこそ言わないが、生きた人間のように戦いを演じていた。しばし刀・槍を交え、あげくは組み打ちで噛み合って血煙があがるという、実に恐ろしい情景である。
 そのうち、西の方から平家の侍大将 越中の次郎兵衛の人形が悠然と登場すると、東からは義経の家臣 佐藤継信が現れた。
 両者は一時間あまりも切り結んだが、疲れて引き分けとし、継信は腰を叩いてその場で休んだ。 次郎兵衛はそろそろと庭へ下りて、茶碗とひしゃくを手にし、息つぎの水を飲んだ。舌を鳴らす音にいたるまで、人間の動作と少しも変わらない。
 続いて次郎兵衛は、若衆姿の平敦盛の人形に抱きつき、また女形(おやま)の人形にしなだれかかって色々とあやしげな仕草をするので、小兵衛も左右衛門も先ほどの恐ろしさを忘れて、可笑しくなった。
 結局、夜じゅう次郎兵衛の人形は駆け回っていたが、明け方になるとともに動かなくなった。

 楽屋番の二人は、座元のところへ行って見たことを報告した。
 話を聞いて皆々驚く中で、四蔵という古株の人形遣いだけは少しも驚かず、
「昔から、人形同士が争って噛み合ったという例は多い。しかし今の話では、水を飲んだそうだが、そいつはどうも変だ。」
と言った。
 そこで翌日、木戸番・札売りなど総出で芝居小屋の中を狩ってみたところ、年経た狸どもが床下から飛び出て、今宮の松原へと逃げ去った。まったく、恐ろしいどころでない怪事だったのである。
あやしい古典文学 No.841