堀麦水『三州奇談』一ノ巻「長面妖女」より

長い顔の妖しい女

 かつて、大聖寺藩の武士 大河原氏のもとで、片野というところの大池のほとりで見つけた少女を一人養っていた。
 片野の大池は海岸近くの山にある。山中に池は七つあるという。
 その辺りでは怪事が多く、例えば、夜中に数百人が池の上に火を燃して騒ぐのを見た人がいる。また、釣糸を垂れていると池の水がだんだん増えて、退いても退いても増えるので、ついに釣りをやめて早足で逃げ帰ったが、よほど離れてから振り返ると、童顔の銀龍が水上に出現していたという。あるいはまた、池と池の間を通る道に大きな顔ばかりのものが出て、こちらが追えば顔が退くし、こちらが退けば顔が付いてくるしで、一晩じゅう争った人もいる。
 一方で、雨乞いのときに必ず祭る池で、水鳥が多く、大聖寺の家中の人々がよく遊びに出かける場所でもあって、大河原氏はそんな機会に幼い娘を見つけて連れ帰ったのだが、十二三年の後、少女はしきりに『伊勢参りをしたい』と言うようになった。
 国法に背くことになるから駄目だと説得しても、参詣したいと切に願ってやまないので、ひそかに駕籠を雇って少女を乗せ、伊勢まで旅することを許した。
 少女は喜んで別れを言うと、駕籠とともに旅立って日を重ね、やがて近江の柳が瀬に至った。
「向こうに見えるのは、余呉の湖だわ。あの近くまで連れて行ってね」
 そう言われて、駕籠かきの者が湖のほとりへと向かい、そこで駕籠を下ろすと、少女は、
「ここに知り合いの人がいるの。挨拶してくるから。」
と言うや、きれいに着飾った装束のまま、湖の淵にざんぶと飛びこんだ。
 駕籠かきは驚き騒いで、淵を覗き込んではみたものの、どれだけ深いとも知れず、なすすべがない。ただただ岸で待っていたけれど、少女は再び浮かんでこなかった。
 仕方なく大聖寺へ立ち帰って、いきさつを大河原氏に物語った。大河原氏としても、国禁を犯しての伊勢参りだから、おおっぴらにはできない。結局、何事もなかったことにして済ませてしまった。
 この少女には、確かな親元というようなものがなかった。美しい娘だったが、顔は普通より長めだったという。

 同じ大聖寺家中の御坊主組に、津原徳斎という人がいる。
 家の近くに「岡の庵」という景色の美しい禅寺があって、敷地がそのまま山へつながり、人々がよく散策・遊楽などするところだ。徳斎はある夜、そこで時を過ごし、夜半のころ、中町の自宅へ帰ろうとした。
 道は福田川に沿って、耳間山という小高い松の群生したところを過ぎて町に入るが、ちょうどそのあたりで手提灯の火が消えた。『まあいい。もうちょっとで帰り着く』と思ってそのまま歩いていくと、少し先を、提灯とおぼしき灯火が行く。これ幸いとついて行くことにした。
 だんだん近くになって、女が素足で灯を提げて歩いているのが分かった。『近所の知り合いかもしれない。言葉をかけようか』などと思っていると、案の定、女は徳斎の家のほうへ向かうので、いよいよ安心してついて歩いた。
 徳斎の家は小路を折れ曲がった先で、路の角は隣の屋敷である。屋敷の塀越しに大きな榎が繁っていたのを、最近、木こりを雇って枝を伐り、根元から十メートルほどの幹ばかりが残っていた。
 先に行った女は、榎の幹に寄り添って待ちぶせていたが、徳斎は気づかず、角を曲がったところで突然目にしたのは、目の上はるか高くにある灯火。驚いて仰ぎ見れば、十メートルの榎の幹と等しい背丈の女が、木の切り口を掌で撫でているのだった。
 徳斎を見下ろす女の顔は、長さ一メートルばかりもある。胴体は幹に隠れてよく見えず、長大な顔ばかりがにこにこ笑いかけてくる。思いがけない恐ろしさに、「あっ」と叫んで我が家へ駆け込んだ。
 家僕を起こし、再び外へ飛び出して見たときには、灯火も女の姿もなかった。いかにも近辺の古狸なんかがやりそうなことである。

 御長柄組の三四郎という者も、このあたりで顔丈一メートルの女に逢ったという。
 福田村の市郎右衛門という漁師は、近くの岸辺で、女が後ろ向きで灯火を繰り返し吹き起こしているのを見るそうだ。
「舟から岸にいるのを見上げるので、はっきりと分からないが、うなだれた顔の長さは、一メートルくらいありそうだ。しょっちゅう見かけるから、またかと思って気にしない。人を害することはないよ。」
などと語った。
 じっさい狸にせよ狐によせ、好みの化けようにこだわりがある。飽きもせず長面女にばかり変化するのは、そのせいだ。やはり正体は、このあたりに棲む年経たものの精であろう。
あやしい古典文学 No.844