石塚豊芥子『街談文々集要』巻四「臨産十三ヶ月」より

がぶ呑み産婦

 次に示すのは、越後蒲原郡弥彦山のすそ深川新田に住む医者 原田鵲斎より、文化四年六月十六日付けで、同国出雲崎の大庄屋 橘左衛門へ送った書状の写しである。

 先般の須頃村の信濃川堤防決壊につき、大変事がございました。
 同村の百姓の娘で当年十八歳になる者が、去年の五月下旬、川辺で居眠りして、夢の中で神魔のごときものと交わったように思ってのち、日を追って妊娠の兆候が現れました。娘の心地きわめてすぐれず、とりわけ喉の渇きに煩悶して、昼夜それぞれに水三十リットルばかりを呑みつくし、穀物は食わず、ただ魚や鳥肉、木の実の類のみを食しました。
 ようやく当年五月、十三ヶ月目にして産気づきましたが、それがまた折悪しくご存知の堤防が切れた日で、
「それ堤が切れる。もう切れる」「やれ産まれる。もう産まれる」と大騒ぎになり、あげくに出産と決壊が同時で、安心するやら動転するやら、天地がひっくり返ったようなありさま。
 そんな中で産婦の渇きは日ごろに十倍し、もはや桶でも鉢でも呑み足りません。隙を見て産褥から駆け出し、洪水の濁流をがぶ呑みするや、にわかに頭髪逆立って、角のごとく巻き上がったのを振り立て振り立て突進し、信濃川へと飛び込むと、たちまち大蛇に変身いたしました。
 生まれた子供のほうはいたってすこやかで、容貌は普通の赤子と変わらず、ただ陰部と眼の下に竜の鱗があるとか。
 この話は、私の隣家に須頃村に親類のある者がいて、五六日前に洪水の見舞いに同地を訪ねて見聞きしてきたもので、けっして流言ではありません。
 なおまた、昨日聞いた別の話では、その後、どういうわけか生まれた赤子の行方も知れなくなったとのことで、いよいよ大珍事でございます。追って新情報があればお知らせいたします。
あやしい古典文学 No.849