浅井了意『新語園』巻之六「安陸師道宣 斉諧記」より

虎の日の記憶

 中国の東晋の時代、太元元年のこと。
 江夏郡安陸県に、師道宣という者がいた。二十二歳にしていまだ情緒定まらず、突如発狂して虎になった。そのまま山に入り、谷を渡り、野を走り、里に出て、かぎりなく人を喰った。人々はひたすら恐れ、窓をふさぎ戸を閉ざして暮らした。
 ある日、一人の娘が桑の樹の下に立って実を採っていたとき虎が現れ、娘を襲って喰った。のみならず、娘のかんざしを持ち去って、山中の石の間に隠した。
 虎はのちに元の道宣の姿に戻ったが、かんざしの隠し場所を覚えており、取りに行って我が物とした。

 数年を経て、道宣は我が家へ帰り、やがて官に仕えて殿中令史となった。
 ある夜、朋輩の役人たちと話していて、天地の変怪の話題に及ぶと、自ら告白せずにいられなかった。
「我はかつて、病を得て狂乱し、虎に変身して人を喰ったものだ。」
 そして、喰った人々の名を一人ひとり挙げた。
 同席した中に、親や子、兄弟、妻や妾を喰われた人が大勢いた。彼らの激しい怒りと恨みをまのあたりにして、道宣は天を仰いで号泣した。
 その場でただちに捕縛され、さいごは建康の牢獄で餓死したという。
あやしい古典文学 No.851