『佐渡怪談藻塩草』「仁木氏妻幽鬼を叱る事」より

幽霊を叱る女

 仁木家の元祖 与三左衛門の妻は、子孫に「二日の祖母」と呼ばれ、女性ながら勇名高い人である。
 年号はいつの頃か、また当時の住まいがどこだったかは聞き忘れたが、はる女という少女を召し使っていて、日ごろから、
「ここに勤める間は、素行を慎んで、武家に仕えることの本意を忘れぬようにせよ。そうすれば、年季が明けたとき、身の立つように計らおう。後々もまさかのときには助けになろう。」
などと教え戒めていた。
 はるは、当初はかしこまって聞いていたが、いつの頃からか気が緩んで、いい加減に聞き捨てにするように見えた。古くより出入りしている者から、はるの不行跡の話も耳に入ったので、あるとき傍らに呼んで厳しく意見した。
「駄目な女だな、おまえは。その身を思って申し聞かせてきたことをないがしろにし、このほどは密通の噂も聞くぞ。もし懐胎などしたならば、朋輩にも示しがつかない。主人を甚だ軽んずるものとして、きつく仕置きするからそう思え。」
 はるは顔を赤くして黙っていたが、その後、体の具合が悪いと引きこもり、ひと月あまり養生するなか、急に流産して死んだ。
 相手の男は召使いの中間だったので、どういうことかと責め問うと、
「懐胎のこと、はるはことのほか思い悩んで、ひそかに堕胎の薬を用いましたところ、こんな始末に……」
と白状した。
 今さらどうしようもない。葬送など取りはからって、ひととおりのことは終わった。

 それから十日ばかり経った。
 与三左衛門の妻は、夜半過ぎ、腹痛がしたので丸薬を飲んで、やっと楽になったところで便所へ行った。 
 用を足して立ち上がろうとすると、後ろから何ものかが両肩をぐっと押さえて立たせない。しかし、したたかな女性だから騒ぐことなく、消えかかった紙燭をかかげて振り向き見れば、死んだ召使いのはるだった。
 妻は目をいからせ、大いにまくしたてた。
「おまえは面の皮の厚いやつだ。ほんの小娘のころから我がもとにあって、女は身持ちが第一と耳にたこができるほど言って聞かせたぞ。それに背いてあらぬ身となったあげく、おのれでおのれの身体を痛めつけた。主人に相談もせず、勝手に命を落としたのだ。義理を知る者ならば、たとえ死のうと生きようと、顔向け出来ぬはずのものを、かえって恩を仇で返そうとするのか。何の恨みをもって、我に無礼な振る舞いをするのか。よくよく憎いやつ。許さぬ。二度とその面を見せるな。」
 激しく叱られて、幽霊はそろそろと肩を押さえた手を引いたが、さらに、
「まだそこに居るか。」
と叱られ、便所を出て開き戸の陰に隠れた。
 それから妻は寝所へ戻り、すると夫が目覚めて尋ねた。
「どこへ行っていた。」
「気分が悪く、腹が痛んだので、厠(かわや)へ行きました。」
「そうか。まだ顔色が悪いぞ。薬を飲むとよい。」
「もう飲みましたから大丈夫です。それより、珍しいものをお見せしましょう。こちらへおいでなさい。」
 妻は手燭を持って先に立ち、夫も『なんだろう』と思ってついて行くと、便所の前の内障子を開けたところで燭をかざして、
「あれを御覧なさい。恩知らずのはるめが来ました。わたしを恨んで仇をなそうとするので、大いに叱りましたところ、面目ないのか、あそこに隠れましてございます。」
 開き戸の陰をよく見れば、全体はほとんど隠れているものの、花色に藤流し紅染裏の袷(あわせ)の裾が、風に吹かれてひらひらするのが分かった。
「まだ居るかっ!」
 またまた叱られると、それも消えて、何も見えなくなった。

 与三左衛門の妻は長命だったが、いよいよ末期というとき、枕元に集まった人々に語った。
「わたしの命も、いよいよ終わりが近づいた。死後におまえがたが怪しむといけないから、先に教えておこう。見よ」
 両肩を脱ぐと、そこには指の痕とおぼしい黒いしみがくっきりと残っていた。
「これは昔、召し使っていたはるめが、恩を仇で返そうとしたときの手の痕だ。」
 聞いた人々がみな、奇異の思いをなしたのは言うまでもない。
あやしい古典文学 No.853