浅井了意『新語園』巻之六「海人嶼ニ登ル 続墨客揮犀」より

海人・鮫人

 李仲游という人は、中国の宋の時代に、同安県の長官を務めた。その記すところによれば、同安県の人民はみな船に乗って海へ出て交易し、遠く外国まで赴くこともよくあったという。
 ある日、その船が台風にあって漂流し、見知らぬ島に吹き寄せられた。嵐が嘘のようにやんで、空いちめん青く晴れわたり、皆ほっとしたとき、不意に海中から数十の人が浮かび出た。
 その者たちは互いに腕を組み、横一列になって島に上陸した。楽しげに語り、笑いあう彼らの言葉はまったく解せなかったが、姿かたちは普通の人と異なることなく、ただ全員赤裸なのが奇異であった。
 船の人々が銅鑼(どら)を鳴らし、太鼓を叩き、鬨(とき)の声を上げて威嚇すると、びっくりした様子で、また腕を組み合い、大いに笑いながら海に入って沈み去った。
 その島近くの住民の話では、これは「海人」というもので、海の底に家を造ってくらしているのだそうだ。

 『捜神記』に、南海の果てに「鮫人(こうじん)」がいて海底に住む、とある。鮫人は紡績にすぐれ、錦を織って外国と交易している。親しくなった人と別れるとき、悲しみに堪えず泣くと、流す涙がみな珠となる。これを「鮫珠(こうしゅ)」という、と。
 木華の『海賦』には、「裸人ノ国」「鮫人ノ室」などとある。左思の「呉都賦」には、「淵客慷慨シテ珠ニ泣ク」とある。
 『博物志』にも、鮫人は水中に居住し、人の世界に来て絹を売る、と書かれている。去るとき鮫人は、そこの主人に器を貸すよう求め、泣いて珠を出して器を満たすと、それを主人に与える、と。
 これらはすべて、海中に人が住むことを述べている。「海人」もこの同類に違いない。
あやしい古典文学 No.859