森春樹『蓬生談』巻之七「西行人を作りし事 付西洋人の話」より

人を造る法

 むかし西行法師が人を造ったことは、『撰集抄』にたしかに書き残されている。
 法師の造った人は、割れ鐘のような声でわめくばかりの心のない怪物だったので、いやになって高野の山奥に捨ててしまい、そのことを都の何某の大納言に話したところ、大納言は、
「それは返魂のやり方をまちがったのだ。」と正しい方法を教え、「私が造った人は、公卿に立ちまじって何食わぬ顔で生きているよ。かわいそうだから、誰とは明かさないがね。」と言ったという。
 ちゃんとした手順を踏めば、人を造れたわけである。しかし、その方法は後世に受け継がれず、絶えて久しい。今に伝わっていたならば、西洋人の科学を超えるものなのに、惜しいことだ。

 近ごろ西洋の学者が、さまざまの薬種を用いてアヒルを造った。
 ほとんど何の不足もないものが出来たが、ただひとつ、ものを恐れる知恵が足りなかった。それ以外は、餌をよく食い糞をするところまで、すべて備わっていた。
 このアヒルを造った人が言うには、
「我と同等の才知ある者が二十人ばかり集まったら、おそらく人を造ることも出来るだろう。」と。
 ということは、ヨーロッパに、いまだ人を造る技術はないらしい。それに対して、わが国では、すでに西行の時代に手軽に人を造っていた。その方法は、いったいどこから伝わったのだろうか。
 『撰集抄』には薬種のことなどは書かれておらず、『骨は何の木で、筋は何の葛で』というようなことだけである。中国から伝わったのだろうと思うが、中国で人を造ったという話は、いまだ聞かない。
あやしい古典文学 No.860