神谷養勇軒『新著聞集』第四「猿恨■をなす」より

猿を撃った話@京都

 公卿の櫛笥殿が、あるとき、知行所のある北山大原で狩に興じた。
 大猿を見かけて鉄砲で狙うと、それは妊娠した牝猿で、自分の腹を指さしたのち、手を合わせて命乞いした。
 櫛笥殿は無慈悲に猿を撃ち殺したが、その日のうちにひどく気分が悪くなって、都へと帰った。

 邸で休んでいるところへ、都合よくかかりつけの医者が来て、すぐに診察してくれた。
「これは、ありきたりの病ではありませんぞ。しかし、マムシを服用されたならば、たちどころに効き目があるでしょう。」
 そこで邸の者がマムシを求める相談をしていると、今度は大原の庄屋がやって来た。
「おお、いいところへ来た。たった今おまえのところへ、マムシを捕ってくるようにと使いを出すところだった。」
 すると庄屋は、
「それはちょうどよろしゅうございました。たまたま人に頼まれて捕ったのを、持って来ております。お急ぎなら差し上げましょう。」
と、マムシを取り出した。
 早速そのマムシを、医者が教えたように調理して食べさせた。
 すると、効き目があるどころの話ではない。櫛笥殿はたちまち高熱を発して譫言を口走り、おそろしい容態と変じた。慌てて医者を呼びに次々と人を遣ったが、なかなか来ない。ようやく来たので、
「言われたとおりマムシを召し上がったところ、こんなことになってしまった。」
と説明すると、医者は驚いた。
「私は最近ずっと近江に出向いていて、ついさっき帰ったところです。お邸より使いがたびたびあったと家の者に聞いて、何事かとやって来たのです。」
 聞いた人々はみな不思議がって、今度は大原の庄屋のもとに人を遣って問わせると、
「ここしばらく、京都へ出向いたことはございません。」とのことだった。

 もはやただごとではないと、櫛笥殿の兄弟である若王子僧正、六角堂の正仙院僧正の二人が、祭壇をつくって祈祷した。
 やがて験あって、壇上に一匹の大猿があらわれた。
「それっ」と僧正二人が飛びかかって、いっしょに壇の下へ転げ落ちた。そのまま猿を組み伏せようとしたが、わずかの隙に猿は逃れ出た。
「しまった。追え、追え。」
 しかし門外で行方を見失い、それきりだった。
「ああ、だめだ。祈りは叶わない。」
 僧正たちは力を落として、壇を破った。櫛笥殿が息絶えたのは、ちょうどそのときであった。
あやしい古典文学 No.865