『事々録』巻三より

ねこまた橋

 昨 弘化四年十一月十八日のこと。
 白山に住まいする御旗与力 鈴木源左衛門方を、松平近江守家老で、源左衛門の妻の兄にあたる近藤織部が訪れた。織部は源左衛門宅に泊まることも時々あったのだが、その日は、酒に酔っていたにもかかわらず、宵も深まってから単身で帰っていった。
 翌日、織部の屋敷から迎えが来た。
「ご主人は昨夜、お戻りになりませんでしたので、てっきりこちらさまにお泊りかと……」
 源左衛門宅では、意外な話に驚いた。織部は常々酒はよく飲むけれども、そのあと遊郭その他へ足を運んで泊まったりする人ではなく、齢も四十余の分別盛り、理非をよく弁えて藩政をつかさどり、主家に重用されている。これは何か、帰りの夜道でよからぬことがあったと思われた。
 織部は源左衛門宅を出るとき、塩鮭が二切れほど入った苞(つと)を提げていたらしい。

 その後、あちこちを捜しまわったが、行方は杳として知れなかった。
 翌十二月になって、まだ織部失踪を知らなかった知人某に尋ねたところ、
「そういえば、その晩、織部殿に会った。小石川伝通院通りで行き合って、挨拶した。」
と話した。織部の風体は、源左衛門宅をでたときは袴羽織だったはずなのに、尻からげでひょいひょい歩いていたそうだ。また、白山通りで行き合ったという人もいた。
 さらに、氷川の百姓が言うことには、
「荒田の茅原で、刀を差した人があっち行きこっち行きして、様子が狐狸に誘われた人のようだったから、声をかけたが、走り去った。」と。
 百姓の語る風体も、織部に似ていた。
 なんにせよ、死んで死骸があるなら、取り計らいようもある。しかし行方も生死も定かでないから、どうしようもない。主家も、旧臣で遠縁でもある近藤家を惜しんだが、やむをえずひとたび家名断絶とし、その後、旧家どうしの付き合いのあった者に少しの金を与えて名跡のみを継がせた。

 やがて年改まって今年の二月頃、氷川の根子股(ねこまた)橋の下から、鼻を覆うばかりの悪臭がするのに、百姓たちが気づいた。
 細い流れにかぶさった枯草をのけてみると、刀を差した者の死骸が、いかにも時を経たらしく、顔も手足も腐りただれて横たわっていた。そこで、土地の役人に届け、皆で死骸を引き出した。
 この話をもれ聞いて、鈴木源左衛門が見に行くと、死骸の刀はまさに織部が帯びていた刀、腐り残りの衣類も織部のものだった。顔や手足は腐乱して判別できなくても織部に間違いないので、名跡を継いだ者へも知らせた上、死骸を引き取ったという。
 織部はなにゆえ狐狸に引かれてさまよい、無惨な死を遂げたのか。
 そもそも狐狸にたぶらかされるような人は、平常もきっと愚か者だろうと思われる。しかるに織部は非常な才気があり、藩をたばねて老臣となり、藩政を取り仕切る堂々の武士であった。それでもなお妖獣の術に引かれてしまったのは、不可解なことである。
あやしい古典文学 No.867