人見蕉雨『黒甜瑣語』四編巻之二「髑髏神」より

髑髏神

 むかし、孫と暮らしてる老爺があった。
 世に「祖父の孫への愛情の深さは、父の子への愛情にまさる」という。ところがある日、その可愛い孫の姿が失せた。
 老爺は神仏に祈り、卜占に行方を尋ね、少しでも思い当たるところはすべて行ってみた。夜は寝ず、夜明け前から星を頼りに探しに出た。なんとしても孫を見出そうとよろめき歩くその姿は、あたかも気のふれたホロホロ鳥のようだった。

 ある夕暮れ、雨に逢って一軒の村家の門口で雨宿りしたとき、老爺の愛情が通じたのだろうか、どこからともなく微かに、わが名を呼ぶ息も絶え絶えな声が聞こえる気がした。はっとして耳を澄ますと、たしかに孫の声に間違いない。
 老爺は『この家が怪しい』と確信して、事情を役所に訴え出た。
 ただちに数名の捕方が赴き、その家を捜索したところ、奥に身の丈に等しい大甕があって、中に老爺の孫が押し込められていた。体は枯れ衰えて気息奄々、か細い命の糸がわずかに切れずにいるばかりだった。
 かろうじて助かった孫が、役所でわが身に起こったことの一部始終を語ったところによれば、かどわかされた当初は、衣食とも十分に足りていたという。しかし日に日に食べ物が減り、大甕の中に入れられると、一日にちまき一個になった。やがてそれも与えられず、毎日酢を全身に注がれたが、すると関節も血管もことごとく締め上げられるようで、その苦痛は言いようがなかった、と。
 あまりにつらい体験だったのだろう。やっとのことですべてを言い終わると、孫はそのまま気絶した。

 誘拐の家の者は、老幼を問わず極刑に処せられた。
 これは、まじないに使う「蠱(こ)」というものを貯えようとして行った犯罪である。
 悶死するのを待って枯骨を拾い、魂魄を掬って貯えておくと、思い通りの呪いをかけることができる。犬蠱髑髏(いぬがみとうびょう)神としてよく知られている類のものだ。
あやしい古典文学 No.879