人見蕉雨『黒甜瑣語』四編巻之二「大鳥」より

鳥がでかい

 皆川淇園門下の細井煕斎子が話したところによれば、淇園先生は、よく塾生を集めて、それぞれの国の奇事を語らせたそうだ。
 あるとき、薩摩の樋口某の語った話。
「わが藩の鐘楼は城郭の外にあって、番人が交代で詰めています。ある年の冬、真夜中に突然、南の方角から風声が轟いて、何ものかが鐘楼に落ちました。楼は今にも崩れんばかりに震動し、鐘に撞木が打ち当たって激しく音を立てました。夜番の者は驚愕しつつも外へ出て様子を伺いましたが、闇夜で何一つ見えません。しばらくして、また風声が起こって南へと去りました。その声を考えるに、たしかに鳥の翼の羽ばたく音だったそうです。これは大鳥が来て、鐘楼上でしばし羽を休めたのに違いありません。
 先年、琉球の舟が港に停泊していたときには、朝見ると、大鳥の卵が舳先に残されていました。卵の直径一メートル二十センチ。鳥がいかに巨大だったか分かります。その殻は藩士某の家に所蔵されています。思うにこの鳥も、鐘楼に来た鳥の同類でありましょう」

 この奇事を記して、秋田藩校 明道館で披露したところ、那珂助教いわく、
「わが藩の新城の農民が、ある雪の朝早く、近くの炭焼き場に出かけると、向こうの山に見知らぬ大木が二本、同根から生えたかのごとくに屹立していた。その上に物体があり、翼が生えていて、それが上下に揺れると、悠揚として天空に昇った。大木と見えたのは、鳥の両脚だったのだ」と。
 天地の間に造り出されるものは計り知れない。中国の先哲 荘子の言葉を、でたらめな夢物語と言い捨てることはできないのである。
あやしい古典文学 No.891