森田盛昌『続咄随筆』上「壮士の水入」より

鱒が淵・其ノ壱「水入」

 加賀藩に、書をよくすることで知られる山本源右衛門という人がいた。
 享保二年五月十六日のこと、源右衛門は退屈しのぎに鮎を釣ろうと、昼ごろに自宅を出て、犀川上流の鱒が淵へ赴いた。

 その日はほかに釣り人もなくて、一人のんびりと糸を垂れていたが、なぜか一匹も釣れないまま時間だけがたった。
 やがて日が西に傾きかかったので、もう帰ろうと思った。釣竿を肩に掛けて立ち上がり、向こうを見やると、この淵にやって来る人影があった。
 二十歳くらいに見える侍と、その下僕らしき者だった。若侍は、縮緬の単(ひとえ)に川越平の袴を着けて、黒縮緬の羽織は梅鉢の紋付、金銀をちりばめた細身の大小を差し、浅い菅笠をかぶっていた。
 『どなたか身分の高い方の御子息ではなかろうか。』 そう思って木陰にかくれて見ていると、若侍は下僕に何かささやき、周りを見回してから、そろそろと淵の中へ入っていった。下僕は少し離れたところから、またたきもせず見守っている。
 若侍はだんだんと淵の深みに入り、ついにはまったく没して笠も見えなくなった。『さても奇怪な。これはいったい……。』 源右衛門が不思議がっているとき、突然、天地が崩れんばかりの雷鳴が轟き、盆をひっくり返したような激しい夕立となった。その中を、下僕は小立野の方へと一目散に走り去った。
 しばらくすると雨もやみ、もとの晴天になったが、日はすでに西に沈もうとしていた。

 帰宅して後、家人はもとより、友人たちにもこの話をしたところ、みな「不思議なことだ。」と言って、淵に入った若侍について心当たりを尋ねあった。しかし、結局どこの誰とも分からず、
「これこそが『水入』という怪異ではないか。」という話になったのである。
あやしい古典文学 No.895