森田盛昌『続咄随筆』上「再来の不思議」より

鱒が淵・其ノ弐「再来」

 同じ享保二年の七月二十六日、山本源右衛門はまた鱒が淵へ釣りに行った。

 暮れごろ帰途につき、土川除という墓地にさしかかったところで、どこからともなく、千草の帷子(かたびら)を着て萌黄色の帯をしめた二十歳くらいの侍が現れた。
 若侍は少し離れて前を歩きながら、ときどき源右衛門を振り返り見る。その顔は青ざめ、ひどく痩せやつれていた。
 不思議に思い、足をはやめて追いつこうとしたが、いくら急いでも隔たりは変わらず、そうするうち次第に小立野へ上り、尻谷坂を下った。『どこへ行くのだろう?』と後についていくと、味噌蔵町藪の内へ入り、それから中の町に入った。
 やがて中村某氏の門前にいたると、若侍は徐々に空中に浮揚した。驚いて見ているうちに、門を飛びこえ、玄関の屋根へどうと落ちた。
 源右衛門は門の前へ駆け寄り、中を覗き見たが、何事かが起こった様子はない。あまりの不思議さに、しばらくその場に立ち尽くした。
 すると、にわかに中村家の台所の方が騒がしくなって、下男が一人、提灯を提げて門から出てきた。源右衛門はその男を呼び止め、
「何か変事があったのか。」と尋ねた。
「いえ、さしたることではありません。ただいま奥方が安産なされたので、ご親戚じゅうへお知らせに参るのです。」
「その子は、男子か、女子か。」
「御男子でございます。」
 言い捨てて、下男は走っていった。

 翌年の正月、年始まわりの途中に中村家の門前を通ると、そこに赤子を抱いた女が立っていた。ふと半年前のことを思い出し、
「その子は、あなたの子か。」と尋ねると、
「さようでございます。」と答える。
「出生の日はいつかな。」
「はい、去年七月二十六日でございます。」
 それはまさに、土川除の墓地から尾行した侍が、この屋敷の玄関に落ちた日である。赤子の顔は、かの侍の面ざしに少しも違わなかった。
「さてさて、よい子だ。大事に育てられよ。」
 源右衛門はそう言って、母子と別れた。

 その後、中村家の子は何の異変もなく育ち、十八歳のときに奥小姓に召し出された。
 加賀藩五代藩主 前田綱紀公の自慢の男で、中村九郎兵衛と名乗ったという。
あやしい古典文学 No.896