進藤寿伯『近世風聞・耳の垢』より

人魂の時節

 嘉永六年六月、広島城下天神町あたり、また下寺町あたりに人魂が出るとの噂で、実際に見たという人が幾人もある。
 元安川に沿った天神町の某家の離れに、ある人の妾が住んでいたのだが、この女が旦那の留守の夜に密夫を引き入れてよろしくやっていたところ、真夜中に及んで母屋の婦人が小便に起きて裏へ出てきた。
 戸の開く音を聞いて旦那が戻ったと思い、慌てた密夫は外の川へと飛び込んだ。しかし、あいにくそこに水はなく、石の上に落ちて腰を抜かし、起き上がれぬ体になって二三日後に死んだ。
 その人魂が出るというのである。

 また、雑魚場(ざこば)界隈に、重い病気にかかった強欲な婆がいて、長年かけて蓄えた金品が養子の手にわたるのを、
「惜しい、惜しい」
と言いながら死んだ。この婆の人魂も出るらしい。
 なにぶんにも人魂の多い時節である。
あやしい古典文学 No.903