浅井了意『新語園』巻之六「白狗姦悪 瀟湘録」より

白将軍

 中国の越国に、杜修己という人がいた。趙州の薛贇(せついん)という富人の娘を妻に迎えたが、この女は呆れるほど淫蕩な浮気者であった。
 女は家に一匹の白犬を飼って、常に魚肉を与え、ことのほか可愛がっていた。夫が外出すると、犬は必ず女の寝室に突進し、おおいに姦淫するのだった。
 ついに夫が気づいて、犬を殺そうとしたが、いちはやく逃れて行方をくらました。女のほうは離縁され、薛家へ帰った。
 それから半年後のこと。
 白犬が突如、薛贇の屋敷へ駆け込んで、女を口にくわえ、わが背に投げ上げると、あっというまに走り出た。
 驚いた家の者が後を追ったが、雲を霞と逃げてゆき、どこへ行ったのか、行方を見失ってしまった。

 白犬は女を背負って北へ向かい、はるかのかなた恒山の奥地へ分け入って、深い洞窟に女を隠した。
 犬は夜ごと山を下り、人家に侵入して食物を盗んだ。昼は洞窟にいて女を見守った。何年かして女は懐妊し、月満ちて男子を産んだ。人の形だったが、全身に白い毛が生えていた。
 子が山中で育って三歳のとき、犬が死んだ。
 女は子を抱いて山を下り、冀州の地で乞食になった。ある人がそのことを薛贇に知らせたので、父親は外聞をはばかって、娘と子を家へ連れ戻した。

 子は七歳になったころには、風貌きわめて醜く、気性は凶悪そのものだった。長ずるにしたがい、ひそかに屋敷を抜け出して盗みをはたらき、十日、あるいは数か月、帰ってこなかった。
 薛贇は困り果て、打ち殺すしかないと心に決めた。女はそれを察して、涙ながらに我が子を戒めた。
「おまえは白犬の子だけど、わたしは幼子のおまえを殺すにしのびず、これまで育ててきた。今、祖父の家に養われながら、かえってその祖父に殺されるようなことがあってなるものか。どうか心を改め、身を慎んでおくれ。さもないと、この家の人々は必ずおまえを殺してしまう。どうかわたしを悲しませないで」
 すると子もむせび泣きながら、こう応えた。
「犬の気性をもって生まれたおれに、もともと人の心はないんだよ。殺すことが好きなのも、盗みをはたらくのも、みな生まれつきの本能なんだ。薛贇は母さんの親父だ。おれを孫と呼んだこともある間柄なのに、いまさら殺すというのか。それほどおれが許せないなら、もう逃げるしかない。二度とここへは戻らないぞ」
 女は出て行く我が子を押しとどめることができず、ただ、
「時々は逢いに来ておくれ」
と哀願した。
「わかったよ、母さん。三年後に一度だけ、おれは帰ってこよう」
 子は剣を携え、母を拝して、薛家の門を出て去った。

 それから三年たった。
 子は群盗千人あまりを従えて、みずから「白将軍」と名のり、薛贇の屋敷へ立ち戻った。
 母親を拝して後、手下に命じて薛家の者をことごとく殺戮し、屋敷に火をかけて焼き尽くすと、母を伴っていずこかへ去っていった。
あやしい古典文学 No.905