湯浅常山『常山紀談』巻之十一「野々口彦助物語の事」より

合戦の視界

 明智光秀の家臣 野々口彦助が、尼子家の猛将 山中鹿之介に会って、手柄を立てるための心がけを尋ねた。
 鹿之介は言った。
「戦闘が始まる直前は、状況がよく見えないもの。十分注意することだ」
 このとき彦助は、それほどの言葉とは思わなかった。

 その後、いつの戦であったろうか、彦助は川の汀まで馬を進めたが、あたり一面に朝霧がたなびき、戦況はまるで判然としない。そのとき鹿之介の教えを思い出した。
「ここで目が見えないというのは、自分の心が臆しているからだ」
 目を閉じ、心を静めてから再び開くと、川のまん中を敵の武者がただ一人、大きな旗指物を背にさして渡って来るのがくっきりと見えた。
 気持ちがさわやかに落ち着き、目が見えるようになった彦助は、馬を馳せて敵に押し並べると、組みついてともに落ち、ついに首を取った。

 後に彼は、
「あれは、わが力による功名ではなかった。敵は大きな旗指物のせいで、疲れていたのだ。だから容易に私に組み敷かれてしまった。あの者も、戦闘を前にして目が見えなかったのだろう」
と語った。
あやしい古典文学 No.907