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進藤寿伯『近世風聞・耳の垢』より |
ねずみ色の粉 |
嘉永六年八月の江戸からの書状によれば、六七月ごろ、江戸の米つき屋に、ねずみ色の粉を売り込む者があった。 その粉を米一臼に二合入れてつくと、短時間で精米できて、しかも米が減らないという。実際に使ってみるとその通りで、たいそう好都合なので、あちこちの店が使いはじめ、粉は俵詰めで大量に江戸へ運び込まれるようになった。 ところが、この粉を使った店の糠を田舎の百姓が買い取り、牛馬に食わせたところ、ことごとく即死した。 三十頭あまり死んだところで米糠のせいではないかと気づいて、店へ行って問い詰めたが、店のほうもわけが分からず、埒があかない。お上に訴え出て、江戸じゅうの米つき屋が召し捕られて吟味にかかるという騒ぎになった。 奉行所は、供述に基づいてねずみ色の粉を取り寄せ、飯に混ぜて犬や鶏に食わせてみると、やはりことごとく即死した。 粉を売った者は捕まっていない。それがどこの何者かも、いっこうに不明とのことである。 書状の注記に、『牛馬は死んだが、人は死んでない。近年、イギリス人が中国へアヘン煙草を持ち込んだ事件もあった。やはりその類かもしれない。用心すべし』と。 また、某役人の江戸からの書状には、公儀の馬十二頭が死んだため、米つき屋が召し捕られて吟味にかかったとある。 あやしい砂を混ぜて米をついたのだが、その砂は甲州の山奥から出たものだった。 よって当分は江戸から甲州への往来が差し止めとなり、どうしても行く用事がある場合は、許可証を携帯しなければならない。さらに、問題の山は縄張りして番所を設け、厳重に立ち入りを禁じているそうだ。 |
あやしい古典文学 No.909 |
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