大田南畝(著)/文宝堂散木(補)『仮名世説』下より

家出老人

 上州の大原に、鋳物師の惣左衛門という人がいた。若いころから書物を好み、内容をよく記憶した。

 ある時にわか雨がふって、道行く人が慌て急ぐ中に、菰(こも)をかぶり頭の先だけ少しばかり出して走る者があった。それを見て妻が、
「『枕草子』に『蓑虫のやうなる童…』とあるのも、あんな格好でしょうかね」
と言うと、惣左衛門は、
「ちがう。それは『源氏物語』の須磨の巻で、『肘傘雨の降りきて…』というところに書かれている。『枕草子』ではない」
と否定した。
「いいえ、あなた。『枕草子』で読みましたよ」
「馬鹿言うな」
 言い争いになって、ついに本を持ち出して確かめると、『枕草子』の「円融院の御はての年」の段にあって、『源氏物語』ではなかった。
 惣左衛門は、悔しまぎれに妻に本を投げつけると、ぷいと家を出て鳥山村の婿の家へ行き、それきり帰らなかった。

 その後、妻はたびたび鳥山村へ足を運んで、いろいろと詫び言してなだめたけれども、惣左衛門は一言の返事もせず、顔をそむけて振り向くこともなかった。
 婿のほうは一日二日の滞留のつもりで泊めたのに、案に全く相違して、一月二月はおろか、年を重ねても帰る気配さえない。『皆の心づかい、かたじけない』と口にすることもなく、平然として自分の家に暮らすかのようだ。
 毎日、黄昏どきには鍬を持ち、裏の畑の隅にいくつも穴を掘る。夜が明けるとまた行って、穴をうずめる。ずっと変わらずこれを繰り返した。穴の数は、夏は少なく、冬は多かった。なんの穴かと尋ねたところ、
「夜中に起きて出て、小便をする穴だ」と。
 こうして二十四年、惣左衛門は婿の家に居て、寛政元年十二月のはじめ、八十五歳で死んだ。
あやしい古典文学 No.917