大田南畝『半日閑話』巻十五「森直之進一件」より

森直之進一件

 小川町に、森直之進という旗本があった。二千石取りの小普請だが、直之進は養子で、実家は大身旗本の小浜家であり、その当主 小浜長五郎の弟である。
 森家には直之進のほかに、養父にあたる隠居の彦太郎、彦太郎の父の喜右衛門、彦太郎の祖母の等持院、直之進の妾、家来・使用人らがいた。

 養父の彦太郎はひどい悪党で、文化十二年六月四日、何が気に食わなかったか、直之進を憎んで毒殺しようとした。
 あいにく毒の回りが遅くて即死せず、直之進は七転八倒の苦しみ。『こいつの実家に騒ぎがばれてはまずい』と焦った彦太郎は、養子を脇差で刺し殺した。
 しかし、委細はたちまち小浜長五郎方に知れた。
 小浜は激怒し、『隠居をはじめ、森のやつらを生かしてはおかぬ』と、その旨を小普請支配の酒井田宮へ申し渡すとともに、まず家来を森家へ向かわせて、家内の者を残らず縛り上げさせた。
 いっぽう酒井田宮は、『森へ行かせては、どんな騒動になるか知れたものではない』と思って小浜を押しとどめようとし、両者大揉めに揉めたそうだ。

 その後、小普請支配全員が酒井宅へ集まって善後策を相談し、ついに老中へ訴え出たので、養父彦太郎ならびにその父喜右衛門と家来二名、そのほか女どもにいたるまで、評定所へ呼び出された。
 奉行根岸肥前守、大目付中川飛騨守、目付牧助右衛門が審理して、彦太郎と家来はただちに牢へ送られた。森の屋敷は、酒井田宮が配下の者を宅番に派遣し、森の親類も家来を差し遣わした。
 これより前、石川右近将監、酒井田宮、朝比奈河内守の三名が、死骸の検視ならびに家内の者の吟味のために森宅へ赴いたときには、思いがけず古い婆が出てきて、恐ろしい剣幕でまくし立て、一同あやうく言い負かされそうになった。石川右近将監が持ち前の大音声で、なんとか黙らせたという。婆は、彦太郎の祖母の等持院だった。

 森家の異様な有様については、世間でもさまざまな珍説が語られて、いちいち記すいとまがないほどだ。
 屋敷内に手討ちにした召使の死骸が埋められてあって、その場所からこのごろ陰火が出るのを、宅番の者が見たとか。
 また、婆の等持院は仏間で経文を読み、読み終わると、宅番の小普請が詰めている居間へ来て、全裸になって踊り狂うとか。さらに、家内残らず気がふれたように騒ぎ回っているとか、取り沙汰された。

 なかなか一件落着とならなかったが、八月、評定所において、彦太郎は遠島、喜右衛門は中坊某方へ御預けのうえ押込、等持院は大沢仁三郎方へ御預けのうえ押込と申し渡された。
 ほかに家来二名が押込で、残りの者は、直之進の妾も含めて刑罰を科せられなかった。妾については、根岸肥前守のはからいで、懐妊ということにして罰を免れさせたといわれる。
あやしい古典文学 No.925