林羅山『怪談全書』巻之五「三娘子」より

三娘子

 中国の唐の時代、板橋店(はんぎょうてん)という村に、三娘子(さんろうし)という女がいた。
 夫を亡くして三十余年、子もなく親類もない身の上で、小さな家で宿屋を営み、食物を売って暮らしを立てながら、なぜかたいそう裕福で、たくさんの驢馬を飼っていた。

 元和年間のこと。許州の趙季和という人が、洛陽に向かう旅の途中に板橋店を通り、三娘子の家に宿をとった。そのときすでに、六七人の先客が泊まっていた。
 三娘子のもてなしは申し分なかった。先客たちは喜んで酒を飲み、あまり酒の飲めない季和も仲間に加わった。
 夜も更けると客たちは、酔いと疲れでその場に眠り込んだ。すると三娘子がやって来て、灯火を消し、戸を閉ざして去った。
 ひとり季和だけが眠っておらず、壁を隔てて何か物を動かす音を聞いて、隙間から覗いてみた。
 三娘子が灯をともし、箱の中から何やら取り出していた。それは小さな鋤と鍬だった。さらに木の牛と木の人形の各六七寸ばかりのを取り出した。
 それらをかまどの前に置いて、ふっと水を吐きかけると、木の人形はきびきびと動きだし、木の牛を牽いてきて、鍬でもって床の前の地面を耕した。続いて箱の中から、一掴みの蕎麦の苗を取り出して植えた。
 まもなく花が咲き、蕎麦が実った。刈り取ると七八升あって、それを小さな臼で粉に挽いた。
 三娘子は、木人形、木牛、鋤鍬を箱の中に収めると、蕎麦粉を練って火にかけて、焼餅六七枚を作った。そうするうちに夜明けを告げる一番鶏が鳴いた。
 客たちが出立するとき、三娘子は焼餅を出して食べさせた。季和は厭な予感がしたので餅を食わず、宿を出るふりをして門の陰から様子をうかがった。
 焼餅を食った客たちは、たちまち地面に倒れ、驢馬の鳴き声をして、形もまた驢馬に変身した。
 三娘子は驢馬どもを後ろの厩へ牽いてゆき、客たちの金も持ち物もすべて我が物とした。
 季和は委細すべてを見て、『珍しい術を使うものだ』と思ったが、あえて人には語らなかった。

 数か月の後、季和は洛陽から帰りの旅路にあって、板橋店に到る手前で、あらかじめ蕎麦の焼餅を作っておいた。形も大きさも、三娘子が作ったのと同じようにした。
 このたびも三娘子の家に泊まった。前回と同じく懇切にもてなす三娘子に、季和が、
「明朝は早く出発する。焼餅を用意してくれないか。」
と頼むと、
「はいはい、たやすいことでございます。ごゆっくりお休みなさいませ」
 三娘子はこう応えたが、はたして夜半過ぎ、ひそかに覗うと、前回と同じく蕎麦を育てていた。
 夜が明けて、三娘子は朝食を並べる中に焼餅数枚も置いた。さらにほかの料理を運んでこようとする隙に、季和は三娘子の餅を一枚取り、自分の用意した餅と取りかえた。
 季和は、朝食を摂りながら、三娘子に向かって、
「忘れていたが、わたしも焼餅を持っていたのだった。せっかくだが、この餅は一枚だけもらって、残りは他の客人に食べてもらうとしよう」
と言って、さっき取りかえた一枚に手を伸ばして食べた。
 そして、茶を持って傍らに来た三娘子に、なにくわぬ顔で勧めた。
「わたしの餅を一つ、ためしに食べてみないか」
「ええ、いただきましょう」
 取り出したのは三娘子の餅だ。それを口に入れるやいなや、その場に俯けに倒れ伏し、驢馬の声を発して、たちまち驢馬に変身した。
 なかなかに力強い驢馬だった。季和はそれに乗って宿を出た。木の人形と牛も手に入れたが、術を知らないので役に立たなかった。

 季和は驢馬に乗って、あちらへこちらへと旅した。驢馬は躓いたりすることなく、毎日百里を歩いた。
 四年後、崋山の廟の東に到った。五六里ばかりの道を行くと、一人の老人に会った。
 老人は、手を打って笑った。
「板橋の三娘子じゃないか。なんでまた驢馬になったのだ」
 笑いながら驢馬の轡をとらえて、季和に言った。
「こいつは悪いやつだが、あんたに逢ったせいで、さんざんな辱めを受けた。さすがに可哀想だから、もう許して放してやれ」
 そして、両手で驢馬の口を大きく引き裂くと、驢馬の皮の中から、もとの三娘子が飛び出した。
 三娘子は老人に向かって礼拝すると、一目散に走り去った。どこまで逃げていったか、それは知らない。
あやしい古典文学 No.931