『一休はなし』巻之一「一休、魚を食いて高札を立て給う事」より

魚を食う一休

「一休和尚は生き仏で、食べた魚を水に吐き出すと、たちまち魚は生き返って元どおり泳ぎだすと、京の町ではもっぱらの評判でございます」
 ある人が来てこう語ったので、一休は可笑しく思って、洛中の辻々に高札を立てた。

   来る某月某日、下り松の傍らの野にて、
   魚を食ってのち、また元の魚にして吐き出し、水中を泳がせてみせよう。
   お望みの方々のご見物をお待ち申し上げる。
   演者は、天下の老和尚 一休大禅師。

 人々はこれを見て、
「噂には聞いたが半信半疑だった。しかし、本当だったんだなあ。確かな証拠がなければ、自筆でこんな高札を立てたりしないだろう。皆さん、見物して、末代までの話の種にしようではないか」
と盛り上がった。
 もはや一休を知る人も知らない人も、見たことがある人もない人も、こぞってその日が来るのを待ちかねて、いざ当日ともなれば、洛中の貴賎が群集し、みな見洩らすまいと引っくり返るほどに背伸びして押し合いへしあった。

 刻限が来た。
 まず水を張った大盥を置き、その横に料理した魚の膳を据えた。
 一休が出てきて、魚料理をひたすらに食い、食い尽くすと、盥に向かって、
「喝ッ! 喝ッ!」
と叫んだ。
 それからしばし瞑目しているので、見物の人々はその顔を見守り、生きた魚を吐き出すのを今か今かと待っていた。
 やがて一休がしゃべった。
「おおぜいが遠方よりはるばるお集まりゆえ、いつもよりいちだんと見事に吐こうと、いろいろ思案したのだが、そう簡単には吐けないようだ。仕方がないから、糞にでもひり出して捨てようと思う。おのおのがたも、もう帰ったほうがいいよ」
 人々は意外な展開に呆れはてた。
「さてもまあ、ふざけた坊主だ」
 興ざめして去っていく人々の中で、一人が言うことには、
「いや、さっきお食べになった魚は、生きて淵を泳ぐことだろうよ。ありがたい御言葉じゃないか。『正法に奇特なし』という。仏法の不思議をありがたがる者たちが、一休を褒めようとして奇跡譚を語るが、それはかえって一休をそしることになる。今日、そのことをお示しになったのだ。ありがたい。ありがたいことだ」
 聞いた人々は、なるほどそうかと合点した者も、いまひとつ納得できなかった者も、とりあえず頷き合って、帰っていったのだった。
あやしい古典文学 No.936