森春樹『蓬生談』巻之五「墓所にもゆる火は人の念の残るものならぬ事」より

燃える墓

 墓地に燃え出る火は、亡者の念あるいは魂だという説がある。だが、そうではない。なぜなら、火葬の墓はけっして燃えない。
 火はみな土葬の墓から出る。古い墓が多いが、新しいものにも出る。大地の火気が激しい地火日(じかにち)に埋葬した墓は必ず燃えると言う。四季を問わず、晴天の夜には少なく、多くは雨や曇天の夜に燃える。

 筆者が幼年のころ、小畑村に菊右衛門という大工がいた。
 恐れを知らぬ男で、ある夜、ひとつの無縁墓から火が出るのを見て、そこを掘り返した。
 二三尺ほど掘ると土の塊があって、それが燃えていたので、とりあえず掘り出して地面に置き、次の日、昼の日の光のもとでよく調べると、蝋のようなものと土とが混じり固まったものだったそうだ。

 また先年、筆者は備中の玉島へ行って、土地の人からいろいろなことを聞いたのだが、その中で問屋の讃岐屋某が語った話。
「いつぞやの夏でした。ここから二里ほどのところにある村の男、これが大変な肝の据わった奴でして、燃える墓を掘って、大きさも形も鞠ほどの土の塊を掘り出しました。それを持ち帰って庭の築山の上に置きましたところ、日が暮れて夜の闇に包まれるとともに、塊からとろとろと火が燃え上がります。男は毎夜、『風流、風流』と縁先から眺めて楽しんでおりました。しかし、噂を聞いた人々が見物にやって来て、その数がだんだん多くなり、男の父親が『物好きにもほどがある』と叱ったものですから、塊を打ち砕いて、川に捨ててしまいました」
 これは、菊右衛門が掘った土の塊と、まったく同種のものであろう。

 さて、土葬の墓といっても、その全部が燃えるわけではない。
 先に述べたように、地火日に埋葬したかどうかと、亡者の体質によると思われる。
あやしい古典文学 No.939