進藤寿伯『近世風聞・耳の垢』より

煙を吐く木

 小幡孫兵衛という人の屋敷裏に、大きな杉の古木があった。
 嘉永五年四月二十二日、その木のてっぺんから煙が吹き出た。煙のみならず、火の粉も少々見えたと言う人もいる。
 何事かと人々が集まって、あれこれと評議した。
「今は煙が止っているが、いずれここから出火するようなことがあっては大変だ」
「しかし、これほどの大木だ。切り倒すのも容易でないぞ」
「煙の出どころは、いったいどうなっているのだろう。だれか見てこないか」
 家来の一人が登ってみたところ、てっぺんは切株のような形で、穴があった。覗いてみたが、ただ真っ暗な深い洞穴で、何も見えなかった。ためしに穴に水を流し込むと、どっと煙が上がった。

 火気が地下の筋道を伝って来たのではないかとも考えられた。しかし、近所にそれらしい火の元はない。
 吉兆とも凶兆ともわからず、ただ不思議な出来事であった。
 一説に、杉の古木は擦れ合って火を生ずるともいうが、それも訝しい。
あやしい古典文学 No.944