佐藤成裕『中陵漫録』巻之八「桜島の老翁」より

お耳長さま

 大隅国の桜島は、和銅元年、一夜のうちに海底より湧き出て、その後、絶頂から火を発して溶岩が溢れ、流れ落ちたとのことだ。島が大昔から噴火していたことがわかる。

 桜島の絶頂には、白髪の老人がいるという。
 平安京の時代、桜島忠信が大隅守として在任中に、某郡の郡司である白い老人を職務怠慢で罰しようとしたとき、老人が詠んだという歌が残っている。
  老いはてて 雪の山をば いただきて
         しもとみるにぞ 身はひへにける
 今では歌を知る人はまれであるが、桜島絶頂の祠は、この老人の祠だと言い伝えている。

 桜島には、巨大な兎がいるという。
 島の権現とされ、それゆえ兎を食う者はなく、「兎」という言葉を発することさえ忌む。
 もしうっかり「兎」と言うと、たちまち腹痛に苦しむのだ。だから、どうしても兎のことを言わねばならないときは、「お耳長様」と呼ぶ。
 かつてこの島が大爆発したとき、それは、隣国薩摩の国主のせいだという説が語られた。すなわち、薩摩の国主が桜島で猟をして大いなる老兎を得たからだとか、猟を忌むべきところで猟をしたからだとか言われた。
 しかし、それらは虚説である。この島には、猟をするほどの鳥獣が棲んだためしがない。
 また、「兎」と言ったからといって、腹痛がしたりしない。筆者は実際に現地で「兎」と言ってみたし、土で兎の形を作ったり絵にかいたりしたが、いっこうに腹は痛まなかった。
 どこの国でも、このような迷信はあるものだ。

 ところで鹿児島では、夏の夕立のとき、雷鳴がことさら激しい。しかるに先般の桜島の噴火以来、大きな雷が一つもない。
 地気が鬱結して雷鳴が起こるわけだが、噴火により地気が発散して鬱結がないため、雷が生じないのだろう。
あやしい古典文学 No.954