村純清『奇事談』、「遠田逢妖」より

くさい息の女

 遠田伊八郎勝久という武士がいた。若いころから漁猟を好み、剛勇の気質であった。
 元禄のころのある時、伊八郎は高岡町の某家へ夜話に行き、夜更けに、与力の笠間五太夫と同道して帰った。

 伊八郎は、笠間をその住まいのある小立野まで送るために、堂形の空地を通った。空地は十町四方あって、真ん中に大木の椎の木があったが、その下まで来たとき、向こうから女が一人現れて、
「この先で娘に遭うはず。さっさと行けと言ってくだされ」と声をかけた。
 何を言うのかと不審に思って見返すと、女は耳まで裂けた口で笑い、生臭い吐息を伊八郎の頬に浴びせた。
 「おのれ化け物。逃がさぬぞ」と追いかけるも、たちまち姿は失せた。笠間と手分けして辺りを捜したが、結局見つからなかった。
 笠間を家まで送って、戻り道に同じ場所を通ったときには、何の異変もなかった。その後、同じ道筋を五六夜通ってみたけれども、やはり化女の姿はなかった。

 くさい息を浴びた伊八郎の頬は、やがて痛んで腫れ、しまいには頬が破れて骨が露出した。いろいろ療治して何年もかかって治ったが、頬にぽっかり穴が開いてしまい、その顔で六十余歳まで生きた。
 臭気に当たらなかった笠間は、まったく無事であった。
あやしい古典文学 No.962