堀麦水『続三州奇談』二ノ巻「薯蕷化人」より

山いも娘

 「山高からずとも仙あれば霊あり」という。
 能登の宝達山は平重盛が黄金を納め、その子孫が隠れ住んだところとされる。とすれば、疑いなく宝達山は仙境である。仙境ならば霊があるのは当然で、地霊が人に変化することもまたしかりである。

 この山が仙境で、金気を蓄え、異人を生ずるという証拠がある。
 少し前、この山の北桜馬場というところで、山師が霊神の意に反して金を採掘しようとしたところ、山が潰れ、坑道が塞がって、多数の死者が出た。それでも山師たちは懲りず、神を鎮めながら他所に坑道を構えて、今も金の採取を試みている。
 近年、有力な鉱脈を掘り当てたという話は聞かないけれども、費用に見合う程度の金は採れる。いつ、誰が、神の意にかなって、多くの金を手に入れるか知れない。まことに頼もしい金山である。
 それともう一つ、最近の話として、まことに不思議な出来事があったらしい。密事ながら、その辺の里人がひそひそと言い伝える奇談について述べよう。

 もともと宝達山は、山芋を多く産し、大きいものは二〜三メートルにも及ぶ。太さも小臼ほどあって、味は格別である。よって近辺の山里の女たちは、みな山芋掘りを生業にしている。
 山の南の白生という村に、もう三四代も山芋で暮らしを立ててきた家があった。しだいに家が衰えて娘一人となったが、なお土を掘り、崖を崩しつつ、山を尊んで日を送っていた。
 娘の名をおさんといった。二十歳ばかりで、太り気味ながら色白で、美女と言ってもいい様子だった。
 ある日、おさんは山へ入って、鶴嘴(つるはし)で土を深く穿ち、大きな山芋の周囲を、折れないように細心の注意を傾けて掘り回していた。気持ちのすべてを土にそそいで、意識が脱けたかのようだった。
 そうするうち、土の下から微かな声が聞こえた。
「おさん、おさん…」と呼んでいる。
 おさんは驚いて飛びのき、そのまま家まで逃げ帰ろうとしたが、『いや仕事を打ち捨ててはいけない』と思い直し、元のところへもどった。
 再び土を掘りはじめると、また、
「おさん、おさん…」としきりに呼ぶ。今度は心を静めて問うた。
「だれなの?」
「わたしは、あなたの妹よ。こわがらないで、もう少し深く掘ってちょうだい」
 これを聞くと、おさんはなんとなく心がひかれ、ほおっておけない気持ちになった。
「それじゃあ掘るわよ。鶴嘴が当たらないように気をつけてね」
 そっと掘り進むと、あと僅かになったとみえて、
「ちょっと待って。こっちから穴を開けるから」
と、下から土を押し動かすようだったが、すぐに土が崩れ落ちて穴があいた。
 おさんがそこに鶴嘴を差し入れると、何か知らないがひたひたと巻きつく気配がした。恐ろしい気持ちを振り切って力を込め、鶴嘴を引き上げるや、白い衣をまとった八歳くらいの女の子が、柄にくるくるとまといついて上がってきた。そのさまは、地中にすむ幼虫のようだった。
 女の子は、横倒しに地上に引き出された。見ると、あくまで色白で、髪もまた白かったが、愛らしさがこぼれんばかりの美しい顔の子であった。おさんはもう恐ろしさなどかき消えて、ただ可愛く、抱いて家まで連れ帰った。

 女の子は当初、ものを言わず、生気もなかった。長時間暖めてやり、稗の粥やふすまの湯などを与えると、目を開け、ものを言い始めた。しばらくして身動きをし、這うようになった。
 おさんは喜んで、ひそかに養いつづけた。三四ヶ月ばかり過ぎると、ふっくらと身がついて十二歳くらいの少女になった。
 それからはおさんと二人連れで山へ入り、山芋を掘った。少女が指さすところには必ず長大な山芋があり、さらに土の扱いも巧みで、芋を折ることがなかった。
 こうして、今までなら三十日はかかった量を二三日で掘り取り、麓の里へ出て売って、二人が暮らすのに余る結構な代価を得た。おさんは喜んで、少女に幾つも着物を拵えて与え、名を「お鶴」と付けた。鶴嘴を山の言葉で「鶴」といい、その鶴に取りついてきたゆえに、それを名前にしたのである。
 家も少し修繕し、おさんも新しい着物を仕立てた。着飾ってお鶴と二人で並んで立つと、中国唐代の小説『遊仙窟』の十娘五嫂もかくやと思われた。
 一年余りのうちに、隣村にも美人の評判が広まった。ある人の俳句に「いも太き越の小里に暮らしたき」とあるのは、この二人のことを言ったのではなかろうか。

 二年ばかり過ぎたある日、お鶴が言った。
「わたしに白木綿の着物を拵えてよ。それを着て金沢へ出て、山芋を売りたいの」
 おさんが、
「そんなら、わたしも一緒に行こう」
と言ったが、お鶴は首を横に振った。
「まず、わたし一人で行かせて。考えがあるの」
「じゃあいいけど、着物は綺麗な色に染めてあげるよ。好きな色を言ってごらん」
「そのことにも考えがあるから、白のままがいいわ」
 お鶴は白無垢の着物で、大きな山芋を二三本背負って、まだ明けやらぬころに金沢へ向かった。そのまま二日たっても三日たっても帰らず、六七日におよんでも帰ってこなかった。
 おさんは心配した。『金沢へはわずか一日の道のりだ。女の足でも二日かかることはあるまいに、何があったのだろう』。さらに十四五日たっても便り一つないので、『これは、まっすぐ伊勢参りにでも行ったのか。なんとも気がかりだ。とにかく明日は金沢へ出て、行方を尋ねよう』と、身支度をはじめた。
 そんな日の夕暮れ、一人の武士が白生村へやって来た。
「おさん殿の家は、こちらか」
「さようです。わたしがおさんですが、どちらからおいでですか」
 武士は言葉を改めて言った。
「さては、お鶴殿の姉上か。お鶴殿からのお言伝てがあって、訪ねてまいった」
「それは、それは。お鶴はどうしたのですか。早く様子をお聞かせください」
「うむ、お鶴殿は幸いな巡り会わせがあって、今はよき身の上になっておられる。そこで、おさん殿も金沢へおいでくださるようにとのことだ。迎えの駕籠を用意いたそうか、それとも歩いておいでになるか」
「わたしも、お鶴が心配で、金沢へ出ようと用意していたところです。お寺へも挨拶しておこうと思いますが、そのうえで、かならず参ります。駕籠などもったいない。いやです。このまま山芋を背負って参りましょう。行き先はどこの、どんなところですか」
「なにぶんにも御大家であるから、今は行き先を言いがたい。じつはお鶴殿も、姉上がそうおっしゃるだろうと、参られる際の品々を用意なさった」
 武士は、持参した銀小玉五十目、銭一貫文と、白木綿一疋を差し出した。
「これで家のことの後始末をして、白無垢を仕立てて召して参られよ。近々またそれがしがお迎えに来て、御同道いたす」
 そして、『このことはすべて内密に。けっして他言は無用』と堅く約して、武士は帰っていった。
 翌日、おさんは遠い親類にあたるおよつという者を呼んで、
「わたしは、妹のつてでよい奉公先があって金沢へ出るので、留守をお願いしたいの。それに京都の本願寺へも参りたいので、帰りがいつになるか分からない。もしわたしが帰らなかったら、この家も諸道具も、みんなあなたにあげるから、村役人への届けや扱いをよろしく」
と頼んだ。
 白木綿をひとえ重ねに仕立て、山芋の苞(つと)をしっかり背負って待っていると、言に違わず武士が下人を連れて迎えに来て、おさんとともに金沢へ向かった。

 さて、およつは留守を預かって移り住んでいたが、いくら待ってもおさんは戻ってこない。その年が暮れ、また春になると、さすがに包み隠すことはできず、縁故の人を呼んで事の次第を語った。
 あらためておさんの家を検分したところ、少しばかり貯めた銭金もそのままあり、綿入・袷などの衣類も相当にあった。五人前の輪島塗の什器や、寺僧を迎えるために用意した器物も、拵えたままに仕舞われていた。
 以上のことを村役人に届け出ると、「今後も、おさんの行方を尋ねるよう心がけよ」というだけのお達しがあった。それで三年が過ぎたとき、およつは身ごしらえし、旅費も用意して、金沢から京都まで、おさんを捜しに出た。
 金沢にしばらく滞留して聞きまわったが、行方を知る人はいなかった。それから小松・大聖寺・三国などを回り、京都へ出た。しかしどこでも、おさんの消息は得られない。しかたなく故郷へ帰る道すがら、また金沢で足を止めて、『もう一度捜してみよう』と、人通りの多いところへ出かけた。
 そのころ、犀川の橋の上の覚源寺という寺の門を過ぎたところに、藤の花が多く咲く社があって、おりしも開帳で見物人が大勢押しかけていた。『あそこで聞いてみよう』と、犀川の土手道を歩いてゆくと、新堅町とやらの裏手辺りで、向こうから下女や小者を連れた人が来た。
 富家の内儀とおぼしく、美しく着飾り、進物の包などを多く下男に持たせて通るのを行き違いざまによく見れば、尋ねあぐねたおさんにまぎれもない。
「あれ、おさんではないか。いったいこれは、どういうこと?」
 驚きのままに声をかけると、おさんは思いがけずおよつに逢って慌てた様子で、
「大きな声を立てないで。落ち着いて話しましょう」
と、近くの静かな貸し座敷へおよつを伴った。
「わけあって、見ての通りの身の上になったの。だから、あの家や道具類はあなたにみんなあげる。今のわたしのことは、村方へは黙っておいてちょうだい」
 おさんがねんごろに頼むと、およつも安心して言った。
「村のことは何も気にしなくていい。ただ、あなたを案じて行方を捜していたのよ」
 それでおさんも心が打ち解けて、これまでのいきさつをこまごまと物語った。
「お鶴は、じつは山で拾った不思議な子で、どういう因縁があったのか、金沢へ白無垢を着て山芋売りに出て、ある大名のお目にとまり、妻妾の類にと召されたの。その縁でわたしも白無垢で金沢へ出て、町家の何某の女房になって、『お鶴はたしかにわたしの妹です』と請け合ったから、お鶴はそれほどの御身分の方の御内室に定まったわけ。このことは、きっと秘密にしてね。そのかわり、米にしろ銭にしろ、不自由はさせないから」
 おさんは相応の土産物をくれて、かたく口止めして別れた。
 およつは白生村へ帰り、村人や役向きの筋に土産をすそ分けし、おさんにもらった家に住んで、今も富み栄えているという。

 お鶴・おさんの二人は、表向きは奉公に出たという扱いで済んだけれど、裏では便りの行き来があって、それとなく周囲に事情が知れた。
 この話は、能登の人が、かの家を指して詳しく語ったものである。
あやしい古典文学 No.965