『怪談御伽猿』三之巻「女生きながら池水に入る事」より

けっこうな池

 いつのことか知らないが、嶋村某という人がいた。家が大いに富み栄えたので、嶋村とその妻は、毎日おもしろおかしく暮らしていた。

 ある年、夫婦連れ立って奈良の里へ旅した。気ままに逗留するなか、ある日、とある山陰に赴いて、酒など飲みながら終日遊んだ。
 嶋村の妻ははなはだ浮かれて、下男下女を連れ、あっちへこっちへと歩き回った。少し離れたところに、高い峰を背にして一つの池があって、水の色はさながら藍のようだった。
 妻はこの池を眺めてたいそう喜び、
「こんな結構なところがあるのを、今まで知らなかったなんて」
と笑うと、そのまま池に躍り込んで、まるで平地を行くかのように水上を歩んだ。
 召使たちは驚いたけれども、深さの知れない池だから、うかつに助けに行けない。あれよあれよというまに、妻は池の真ん中まで到り、にっこり笑って水底に沈んで見えなくなった。
 嶋村は知らせを聞いて駆けつけ、水練の達者な者を潜らせて捜索したが、妻の行方は知れなかった。
あやしい古典文学 No.970