平尾魯遷『谷の響』五之巻「狐狼苦声を発てず」より

皮を剥がれ肉を切られ

 どこだかの屋敷に、酉蔵という中間頭の男がいた。
 ある日、酉蔵は外出し、夜の十時ごろ屋敷の前まで帰ってきて、澄みわたった月あかりにうつる塀の内の松を見上げると、枝に普段見たことのない大きな瘤があるのに気づいた。
 怪しく思って、門内に入って見直したが、まぎれもなく大きな瘤である。酉蔵はそのまま松の木に登って、木刀で瘤をしたたか叩いた。
 瘤の正体は狐であった。狐は横の枝に逃れた。酉蔵が犬を呼ぶと、六七匹が駆けて来た。酉蔵は枝を払って狐を追い立て、たまらず地上に落ちたところを、犬どもが襲いかかった。
 そのままでは犬が咬み殺してしまうので、これを追い払って狐を捕らえ、自分の部屋へ持ち帰って、中間たちに手柄話を語った。
 そのあと、生きたまま狐の皮を剥いだが、さして苦痛の様子もなく、少しも声を出さなかった。剥ぎ終えたとき、狐はむくむくと起きて立とうとするので、叩き伏せ、肉を削って汁に炊いて食った。それでもなかなか死ななかった。
 世に言う「狐死に及ぶとも声を発することなし」というのは本当だったと、酉蔵が語ったそうだ。
 これは、天保二三年ごろの出来事である。

 また、筆者の下僕の又吉が語った。
「弘化二年でしたか、中村の山中で、芦萢村の男たちが、まだ幼い狼の子を三匹狩り出して、そのまま叩き伏せ、腹を割き背を割りさんざんにしました。けれども、三匹とも一声も発せずに死んだそうです。狼と狐は苦痛をよく堪えて、死に至るといえども声を立てることはないと、年寄りの話に聞きました」と。
 じっさい、そういうこともあるのだろう。
あやしい古典文学 No.974