堀麦水『三州奇談』二ノ巻「水嶋水獣」より

水熊

 加賀国石川郡の本吉世尊院は、真言宗の霊場である。ここの奥に、若椎という俳人が、芭蕉翁の発句を埋めて塚を築いた。その縁で、筆者は折々この寺を訪れる。
 あるとき、世尊院の人が、こんな話を聞かせてくれた。

 宝暦六年、七年、八年と、三年連続で手取川が大氾濫した。
 宮竹新村・山田先出・三反田・一ツ屋村・土室・田子島・與九郎島・出會島・舟場島・水島の各所で堤防が決壊し、夥しい数の人家が流没して、川沿いの土地では、村ごと居を移さざるを得なくなったところも多かった。
 世尊院のある本吉は、川の中州のような位置取りながら小高い場所だから、直接の水害には遭わなかったが、水勢がさかんなときに周囲を見渡すと、まるで海中の孤島に取り残されたようだった。
 手取川は白山に源を発し、毎年のように洪水になる。けれども水が滞る場所がなく、海へ流れ落ちるのが速いから、ふつう深刻な事態にはならない。この三年の水害はまったく不審だが、じつは、それは一つの奇怪な出来事から始まった。

 川のこの辺りから川上の中島までの間は河川改修をしたところで、蛇籠(じゃかご)でもって堤防を築き、灌漑して田畑を広げたのである。
 そうしたところ、中島の中川堤の下に変なものが現れた。死んだ牛のように見えるのが、水面に背をさらして久しく動かないので、あるいは大木の朽ちたのだと言い、また苔むした石だなどと、人々は言い合った。
 水練の達人が近寄って撫で回したりしたが、なにしろ流れの激しい場所で、ゆっくり調べることができない。ただ『黒くて皮の手触りがある。頭もなく口もなく、左右に枝のごときものが二三本出ている。おそらく枯木の根ではないか』とのことだった。
 近くの山田村の牛かもしれないと、いちおう尋ねたけれども、やっぱり牛ではなさそうだった。鍬で叩いたり竹で突いたりしてみると、ただバンバンというばかりで鍬の刃も入らないながら、木石などではなく、何か知らないが生き物の皮だろうと思われた。

 その後、川水の少ない日に、地元の若者たちが黒皮のごときものの周りに寄り集まって、一鍬ずつ力いっぱい打ち込んでみるに、だれも刃が立たなかった。
「こいつ、絶対に生き物じゃないよ」
 そう言い合って、みな岸に腰かけて煙草を吸っていると、そこへ「椰子の実」という一抱えばかりの木の実が流れ下ってきた。これは白山の谷間に生ずるといわれ、表面は毛の生えた皮で、中に髑髏のような果肉があり、白い油が満ちている。油は甘くて美味なので、土地の者は実を拾って吸う。
 その椰子の実が黒い物の前へ流れてくるや、そいつは枝のような手を伸ばした。そして実を引き抱え、目も口もないところへ押し当てて、たちまち白い油を吸い尽くすと、殻を捨て流した。
 これを見て、百姓たちは驚き呆れた。
「生きているぞ。化け物だ。打ち殺せ」
 みな立ち騒いだが、鍬の刃も立たない、どうするか。だれかが思いついて、藁に火をつけ、黒い皮の上に置いた。他の者たちも次々に焼け草を投げかけ投げかけするうちに、シュウシュウと音がして油臭さが漂ってきた。
「それ、今だ」
 鍬を振り上げてしたたかに打つと、焼け爛れた跡だから、一寸ばかりも切り込み、黒い血も少し流れ出たように見えた。
 そのときだ。
 大地も覆るようなドウドウという水音が轟いて、今まで渇水していた川に、一丈あまりの水かさの大波が川上から押し寄せた。
 驚いた百姓たちが一目散に逃げたあと、黒い死牛のごときものは、水がかかると同時にコロコロ転がるように見え、するとたちまち幾重の堤防がいっせいに崩れ落ちた。逃げ延びたと思った百姓たちが振り返ると、水は彼らを追いかけるように、道なき田畑を走り流れて来た。

 それからというもの、方々で水が溢れ、周辺は長らく水害に苦しむこととなった。黒い獣が転がっていくと見えた場所は、たちまち淵となって、水難は止まない。獣は、中国の伝説の「天呉」とかいうものだろうか。『目鼻がなく、よく川の堤防を破る』などと聞いたことがある。
 とにかく人力の及ぶものではなく、仏の力にすがるしかないということになって、百日間、家ごとに毎朝、川に向かって観音経を唱えた。
 その効験か、または単に時節が来たからか、ある夜、闇の中に薄赤い光があって、黒い獣が川上へと向かうのが見えた。その後、水が引いて、今の土地の様子になったのである。
 俗説に『水熊が出た』というのは、この出来事をいう。おそらくは、白山の谷の深遠に棲むものであろう。この物が去って以来、当地に水害は起こっていない。
あやしい古典文学 No.979