堀麦水『三州奇談』一ノ巻「小野の老翁」より

互いの怪

 享保の末年のこととかいう。
 大聖寺藩士 坂井数右衛門は、齢四十余、沈着冷静な勇武の侍であった。
 そもそも大聖寺では、武芸を磨くためもあって、夜に鳥狩りに出ることが藩風となっていた。それぞれの獲物を競うため、人を誘わず、単独で狩りに出る。坂井数右衛門もまた、そうした狩りを好んだのは言うまでもない。

 冬枯れの候、蔦葛の枯葉がひらひらと松の枝から散り、遠く聞こえる猿の声も哀れに嗄れている。月さえ早々と山陰に入って、足元のおぼつかない町外れの道を、数右衛門は独り行き、夜半ごろ、小野坂という山道の木下闇にさしかかった。
 ふと見ると、少し先を灯をともして行く人がある。『こんな時間に、だれだろう。追いついて顔を見よう』と足を急がせると、その灯をともした人も足早になった。こちらが立ち止まると、向こうも立ち止まった。
 心を落ち着かせてよく見れば、提灯や行燈のような明かりではなく、ただ輝く光で、星などが降りたかのようだ。これは、いかにも怪しい。
 『なんとしても正体を見てやる』と刀に手をかけ、ずんずん歩を進めて、道を曲がったところで追いついた。背後から背伸びして覗き込むと、齢のほど九十ばかりの老翁が掌に玉を据えており、その玉が光り輝いているのだった。
 そこへ後方から、また怪しい人影が近づいた。その顔も見届けようと走り寄ると、これも同じ年頃の老婆だった。
 老婆は近づきつつ伸び上がり、先を行く老翁の持つ玉をふっと吹き消したと見えたが、たちまち周囲は真の暗闇となって、一歩先の見分けさえつかない。二人の老人も寂として声なく、いずこへ去ったか知れなかった。

 この話を聞いたある人が言った。
「火を消したのは、老翁を案じた老婆の機転だ。二人の異人の立場からすれば、坂井氏のほうが邪だといえる。帰宅した老翁は、必ずやこのことを彼らの奇談に書き留めて、『怪に逢った』と記すだろう」と。
あやしい古典文学 No.980