堀麦水『三州奇談』二ノ巻「釜谷の桃花」より

桃花の姉妹

 小松の城下は加賀三代藩主前田利常公の隠居の地で、町は賑わい、人は豊かに暮らし、山川がほどよく調和して眺望の素晴らしい場所である。
 絹織物が盛んな町なので、すぐれた女工を多く輩出する。眉目麗しい婦女でないと、織る絹の艶が少ないなどという。
 女工たちは休日ともなると、ささやかな楽しみとして、必ず近隣の花や紅葉の名所などへ見物に出かける。町の遊び人がまたそれを見に出歩くので、ささいな催しにも人が群集するのが土地の習いである。

 三月三日は桃の節句で、人がみな祝い楽しむ日だ。
 宝暦三年のその日はことに天候ものどかで、誰も彼もあっちへこっちへと浮かれ出た。なかでも小松の東南郊外の、大野・花坂へ行く道の山の辺にある釜谷神社は、呉服の神にして女工紡績を守るというので、大勢がこの社に詣でた。
 神社の近くに吉竹という村があって、猿回しを生業とする者が多く住み、この日は社頭に猿を連れてきて、流行り歌で拍子を取り、猿どもを舞い踊らせた。田舎くさいながらもなかなかの見ものである。
 猿回しの猿は諸国から手に入れて芸を教え、覚えの悪い猿はすぐにこの神社に放す。だから捨て猿もたくさん棲みついている。
 そんなおもしろい場所なので、女たちが大勢、境内に隙間なく毛氈を敷きつめて遊んでいた。いつにまして桃花はここかしこに咲き誇り、藤も桜も負けじと梢を競う。菜種・山吹も村里を取り巻き、まさに春うらら、陽射しを扇で遮りつつ、皆々列を成して浮かれ歩いた。

 神社から少し山へ入ったところに、大きな池があり、池の水は滝となって下り落ちている。滝まで歩く人は多いけれど、滝の上の池まで行って、岸の春草に休らう人はまれだ。
 その日、小松細工町の若者が三人連れで、桃の花見に神社を訪れた。
 道々の草の上で円居している婦女に戯れかけながら、酒をあおり、口に任せて歌い、右にふらふら左によろよろと千鳥足で、かの滝の元までやってきた。
 しだいに日は西へと傾く。人々は道端に敷いた毛氈をはらって、弁当桶などをしまい、椀や箸の類を川の流れに投じて、「さあ、帰ろう」と声をかけ合い帰路につく頃だ。
 しかし三人は、酒の勢いでさらに進み、滝の上の池岸まで来てみると、そこには、衣装も髪も人妻らしく装った二十五か六くらいの女と、お供とおぼしい十八九の娘の姿があった。広げた青い敷物の上には弁当といっしょに、たくさんの摘み草が取り散らかっていた。
 二人の女は若者たちを見ると、慌てて何かを隠そうとするようだった。それを恥じらいのさまだと思って、ずけずけと敷物の上ににじり込み、言葉をかけ、腰の酒筒を取り出して、
「女主人には畏れ多いが、侍女ならばかまうまい。路傍の一枝の花を愛でるのを、誰が咎めるものか」
と盃を差すと、娘は、
「わたしは侍女じゃないのよ。馬鹿にしないで」と応えたが、しばらく間をおいて、「でも、気にしないことにしましょう。すすめられて断るのも無粋なことね」
とついに盃を受け、にっこり笑って、それから酒宴が始まった。
 一人の若者が尋ねた。
「俺がさっき女主人と呼んだ人は、さては姉上か」
 娘が頷くと、若者は歌った。
「梅を命の春さえも……」
 すると年上の女がさえぎって、
「歌が長すぎるわ。帰り道でいっしょに歌いましょう。もう日が沈みますよ」
 そう言いながら一つの器を取り隠すのを、目ざとく見つけた若者が、女にふざけかかって、器をひっくり返した。転がり出たのは、草をつき込んだ団子餅だった。
 すかさず拾って食おうとすると、女たちが慌てて止めた。
「それはわたしたちの秘密の草餅よ。人が食べるものじゃないの」
 しかし若者はいっそう戯れて、止める手を無理に引きはなし、続けざまに二つ食べてしまった。
「あっ、食べちゃった」
「だめねぇ、もう」
 女たちが気の毒そうに言うのを、三人のうちの酒をあまり飲んでいない者が聞いて、その気配に何か尋常でないものを感じた。見れば、日が暮れるにつれて女たちの顔が妖しい色を帯び、眼中が物凄く光るのだった。
 はっとして、ただちに居ずまいを正し、挨拶もそこそこに、他の二人を引きずるようにしてその場を立ち去った。一人はなおも酒をあおって、女たちと一緒に帰ろうと言い張ったが、先に行って途中で待とうと宥め、無理に連れていった。

 麓に着いたときには、もう暗くなっていた。花見の女子供はみな帰って姿がなく、男ばかりがまだ残っていた。
 先刻逢った二人の女のことを聞き合わすに、小松は大きな町ではないから大概の人は顔見知りなのに、誰も知る人がなかった。考えてみれば、年若い姉妹が供も連れずに来て遊ぶというのも変だ。
 とにかく待ってみようと、夜の十時くらいまでその場で待ったが、結局女たちは来なかった。この道以外に小松へ出る道はない。いったいどこの女だろうと訝りながら帰っていくと、小松の町に入ってから、例の草餅を食った若者が腹痛に苦しみだした。
 たちまち狂人のごとく暴れまわり、
「餅は返す! 餅は返すぞ!」
と幾度も叫んでいたが、やがて目・鼻・耳・口の七つの穴すべてからおびただしく水が出て、その夜のうちに死んだ。

 この事件は、当時、老猿の妖怪のしわざだと言われた。
 ほかにも、これに似た怪事について聞いたことがある。本当のところ、なんなのだろう。
あやしい古典文学 No.983