平尾魯遷『合浦奇談』巻之二「卑湿地ベコ」より

卑湿地ベコ

 津軽の下相野村に、又助という者がいた。
 文化年間のこと、又助は加納の卑湿地へ行き、泥炭を掘ろうと、鍬で表土を取り除けたところ、鍬の刃先にべっとり血が付いた。
 不思議に思いつつ更に鍬を使っていると、足元の土壌がむくむくと揺れ動き、あたり一面の蘆の葉がザワザワ鳴った。
「ややっ、土中に大蛇でもいるのか!」
 又助は、ただちに仲間を呼び集め、四方から掘りたてた。
 やがて、なんだか分からない物体が、血にまみれて出現した。丈は一メートル半あまり、幅も一メートル近い。厚さが三十センチくらいか。手足も目も口もなく、全体がナマコに似たものだ。半身が黒っぽく疣立ち、背に盛り上がった筋紋が二本、腹には数百の笄蛭(コウガイビル)がびっしり吸い付いている。
 みな驚き怖れ、息を呑んで見守るなかを、そのものはヌルヌルぬめり這って、地中に潜ろうとするようだった。
 その場にいた一人の老人が、
「これは『卑湿地ベコ』というものだろう。この地に昔から雌雄の二匹がいると言い伝えている。殺すと必ず祟りがあるから、傷つけてはならん」
と言うので、そのまま手を出さずにいると、やがて土中に入り込んで姿を消した。

 一説に、卑湿地には『ヤチベコ』というものが棲んで、時おり鳴くのを聞けば鳥の声のようだが、その形を見た者はないという。それとはまた違うのだろうか。
あやしい古典文学 No.989