『怪談御伽猿』二之巻「白猫美少人と化する事」より

三毛之介

 近江国日野庄に、おちかという美人の娘がいた。
 色好みの生まれつきながら、自分の容貌と姿態の艶やかさにうぬぼれるあまり、相応な縁談があっても、そのつど相手の男を嫌って破談にし、十九になるまで母のもとに養われてきた。
 その年の春を過ごし、夏が終わって、日ましに秋の寂しさが深まると、鹿の声を聞きながらの一人寝は心憂く、『夜ごと恋の睦言を交わすのはいつの日か』と心細げに庭に立ち出でて、季節の景色に託して胸の内を幾つもの歌に詠んだ。

 そのとき、裏の木戸を微かに叩く者があった。
「ここを開けてください」
 細く優しい声に思わず心惹かれて、とまどいながら戸を開けると、いかにも高貴な身分の人らしい美少年が入ってきて、雪のように清純な手でおちかの手をそっと握った。
 これでおちかはすっかり魂を奪われ、我知らず少年に身を寄せて、手を握り返した。よくよく見れば年のころ十八九、姿はほころびかけた梅の花に春の月が差し照らすさまに異ならない。おちかは込み上げる思いに言葉もなく、ただ呆然と立ち尽くした。
 少年は、しみじみとした声で打ち明けた。
「わたしはこのあたりに住まいする者ですが、あなたの姿を一目見てから、人知れず恋い焦がれ、我慢できずにここまで忍んでまいりました。せめて一夜の契りをお許しください」
 おちかに拒むことなどできるはずがなかった。頬を赤く染めてものも言わず、少年の手を引いて居室へと伴った。
 さいわい家には、母以外にとがめる人もない。あれこれと酒肴をととのえて酌み交わし、
「お名前は?」
と尋ねれば、
「三毛之介と申します。このこと決して母君にお話しなさるな。もし親が許さなければ、行く末の約束もいたずらになりますから。さあ、今こそ寝所にて枕を交わし、久しい思いを遂げましょう」
 手をとって促され、おちかは夢心地。飛び立つばかりの嬉しさに足どりは上の空で、三毛之介と寝屋へ入った。
 その夜は、どんな夜だったろうか。初めての契りに頬を寄せ合い、しっかりと抱き合って、
「いつまでもいつまでも、きっと見捨てなさいますな」
と睦言に睦言を重ねれば、秋の夜は長いといえども、はや鳥の声を聞き、暁を告げる鐘の音に、涙ながらに別れを告げて、三毛之介は帰っていった。

 それからというもの、三毛之介が夜毎に人知れず来て、暁に帰るのが習いとなって、やがてその年が暮れ、次の春、夏が過ぎて、秋の九月ごろのこと。
 二人の秘密の仲はいよいよ深くなったが、おちかの母のもとへ、『娘御を深く望む人がいる』と、ある人が仲人話を持ちかけた。
 母も、いつまでも娘をそのままにしておけないと思っていたから、大いに喜んで、娘にも強く勧めた。
 おちかはむろん気が進まないながら、情人があるなどと母に告げることもできず、しかたなく頷くばかり。それで母は仲人に、『娘は承知』と返事した。
 そうして縁談がまとまったことは、世間の誰にもまだ知らせていないのに、どこでどうして知ったのか、いつものように夜半に来た三毛之介は、
「あなたが他家へ嫁がれるという話を聞きました。しかし、わたしは少しも恨みに思いません。こころよく嫁に行かれるがよい。ゆめゆめ、わたしに心を残さぬように」
と、さりげないふうに言って、その夜も娘と熱く交わった。

 その隣の部屋には、下女が一人で寝ていて、いつになくふと目覚め、おちかの寝間のほうを眺めると、灯火がかすかに見える。何となく気になって覗き見たら、おちかは一匹の白猫と添い臥していた。
 白猫はおちかが日ごろ可愛がっている飼い猫だったから、下女は不思議にも思わずに様子を見ていると、前後も知らず熟睡したおちかの横で、猫はむくむくと起き上がった。
 そのままおちかの腹の上に這い上がり、少年の背丈ほどの猫に巨大化して、幾度も荒々しく犯しに犯した。おちかはそのたびごとに顔をしかめ、ひどい悪夢にうなされるように呻いた。
 下女は声を立てるのも恐ろしく、息を殺してうかがい見るうちに、そろそろ夜も明ける頃になると、猫は人のごとく二本足ですっくと立ち上がり、静かに歩いて出て行った。
 下女は朝になってから、おちかに見たことをありのままに語った。
 おちかは、最初は『身に覚えがない』と言っていたが、下女があくまで言い募ると、『さては』と気づいて、初めからのことをこまごまと語った。
「ほんとうに猫だったのね」
「はい、あの猫でした」
「いやだわ。おそろしい……」

 まもなく、おちかには懐妊の兆候があらわれた。
 やむをえず母に告白して、五ヶ月目で堕胎薬を用いて出産した。猫の子が五匹生まれたという。因果なことだ。
 かの猫も、後に行方知れずになったそうだ。
あやしい古典文学 No.995