新井白蛾『牛馬問』巻之二「猿の剣術」より

猿の剣術

 柳生但馬守は猿を二匹飼って、いつも剣術の稽古をつけていた。そのうち猿どもは大いに力をつけて、未熟な弟子たちはいつも猿に負けるようになった。

 そんなころ、槍の腕前が自慢の浪人がいて、なんとしても柳生但馬守と勝負したいと思い、人の縁を頼って対面にこぎつけた。
「拙者は槍を少々たしなみます。おそれながらお手合わせ願いたい」
 浪人の言葉に但馬守は、
「それはたやすいことながら、まずこのものどもと立ち合ってみられよ」
と応えたから、浪人は顔色を変えた。
「ややっ、これは猿! あんまりではありませんか」
「そう思うのはもっともだが、ためしに立ち合われよ」
 重ねて言われて、しかたなく稽古槍を手にすると、猿も竹具足に面をつけ、小さな竹刀を持って出てきた。
 浪人がただ一突きに突き倒そうと踏み込むと、猿はひょいと身をかわし、何の造作もなくはっしと打って勝負を決めた。
 思いがけない結果に驚きつつ、浪人が今一度と望んだところ、もう一匹の猿が出て立ち合い、またしてもその猿に叩かれた。
 大いに面目を失って帰った浪人は、それから四五十日ほど、ひたすら稽古に明け暮れ、技の工夫をこらした。

 ふたたび柳生邸を訪ね、
「あの猿と、再度立ち合いたく……」
と望むと、但馬守は、
「見たところ、そのほうの腕前は先日より格段に上達している。今度猿が勝つことは難しいだろう。いちおう立ち合ってみられるか」
と言って猿を出したが、互いに向き合ったものの、浪人が槍を繰り出す前に、猿はキャッと啼いて逃げ去った。
 浪人は但馬守の門弟となり、奥義を伝えたという。
 猿でさえも学ぶところあれば、人の技量の有無を察することができる。ましてや人が努力して、妙術を備えないはずがない。
あやしい古典文学 No.997